“こころ”とは(3):観察主体と観察対象の関係を創り出す“こころ”

ホロニカル心理学では、観察主体と観察対象の関係そのものを創り出しているのも、“こころ”と考えます。

多層多次元にわたる複雑な自己や世界の現象が立ち顕れてくるのも“こころ”が深く関与しているためです。観察主体と観察対象の関係の差異が、本来は全一的世界に対して、一見、多様な現象世界を創り出してると考えられるのです。

ある心的症状やある心的問題に対して、ある観察主体が、観察対象に認知を選べば、ある認知の問題が顕れてきます。ある観察主体が、観察対象に家族を選べば、家族の問題が顕れてきます。ある観察対象が、観察対象に生理・神経学的作用を選べば、ある生理・神経学的問題が顕れてくるのです。ある心的症状やある心的問題に対して、観察主体の識別基準によって、異なる観察対象が無限に選択され、無限に問題が“こころ”の特徴的現象として顕れてきてしまうのです。しかも観察主体の差異によって、同じ観察対象となった認知、家族、生理・神経学的反応にも差異が出てくることすら避けることができないのが現実です。観察主体の行為が観察対象に影響を与えたり、観察対象の振る舞いが観察主体に影響を与えることを回避できないのです。科学のように、できるだけ主観を排除し、客観的な立場から、同じ手続きによって、同じ観察対象を観察したとしても、観察結果には誤差がでることを避けることができず確率論的にか物事を決定できません。しかも、普段、私たちが生きている世界は、科学的論理によって知的に理解される出来事はごく限られており、実在する世界は、観察主体と観察対象の不一致が交錯するもっと複雑で情念的なものを含む世界といえます。

心的症状や心的問題は、悪循環する観察主体と観察対象の関係の固定化によるためと考えます。しかし人は、観察主体と観察対象の関係を含んで安全かつ安心して自由無礙な俯瞰が可能となるさえ得られれば、たとえ不治にあったとしても自己の適切な自己組織化が促進され、より生き易い生き方の発見・創造が可能と考えられます。

このようにホロニカル心理学では、観察主体と観察対象の関係自体を創り出す、“こころ”そのものの働きに注目します。観察主体と観察対象の関係を創り出す“こころ”とは、もともと観察主体と観察対象の区別すら無き全一状態にあった“こころ”に“ゆらぎ”が起きて、たちまちのうちに観察主体と観察対象が不一致となって多の現象世界を産み出すことと考えるからです。一即多、多即一となる展開が、“こころ”の特徴であり、そのことの実感・自覚が適切な自己の自己組織化を促進すると考えられるのです。

観察主体と観察対象が一となっている時とは、“こころ”が全一状態といえます。ホロニカル心理学でホロニカル体験と呼ぶものです。しかし、観察主体と観察対象が不一致となった途端、“こころ”は多様な世界となって立ち顕れてくるのです。

これまでの心理学は、観察主体()の精神活動や意識(無意識を含む)を研究対象としてきた傾向が強かったといえます。観察主体と観察対象が不一致時の心的活動のみに心理学の研究が限定されてきたといえます。そこでホロニカル心理学では、観察主体と観察対象の不一致と一致を含んで心理学を再構築することが重要と考えるのです。

“こころ”は、観察主体と観察対象が不一致となり重々無尽の意味連関をもった網目状となった世界を創り出す源でもあります。それは煩悩の源でもありますが、重々無尽の網目状の世界が、一即多の縁起的包摂関係(ホロニカル関係)にあることに目覚めれば、「煩悩即菩提」「生死即涅槃」となります。そのため東洋では、波立つ“こころ”が平穏となるために、「無我(自我の大死)」によって、宇宙と我と一体という自己によみがえることが重視されてきました。「無我」となるとは、私(我)が実際に死ぬという意味ではなく、観察主体となる我(私)が無限の点となって観察対象を観察すること、すなわち観察主体と観察対象が一となることです。あるいは、逆の方向でいえば、観察主体が無限の球となって観察対象を観察すること、すなわち観察主体と観察対象が一となることです。結局、無限の点と無限の球とは、観察主体と観察対象が一となることに他なりません。自由無礙な無限の俯瞰とは、無限の点から無限の球になるまで、観察主体が融通無礙となることといえるのです。見るものと見られるものが一となることです。

観察主体と観察主体が一となるとは、“こころ”そのものになることと同じといえます。それは般若心経の中で「空」と呼ばれ、哲学では「絶対無」と呼ばれ、科学ではビッグバン前の「無の“ゆらぎ”」と呼ばれきたものと同じだとホロニカル心理学では考えるのです。“こころ”は、これまでの心理学が対象としてきた「心」より、より広大無辺のものと捉え直すことができるのです。

「空」「絶対無」「無の“ゆらぎ”」「“こころ”」が、多層多次元な出来事の世界を創り出され、あらゆる出来事や無常の存在の個物・個体は、やがて「空」「絶対無」「無の“ゆらぎ”」「“こころ”」になると考えられるのです。