知性的なものと感性的なもの

物事についての知的な理解というものは、思考作用によって観察対象について分析・識別し、合理的に整理・判断することといえます。しかしながら知的理解だけでは、観察対象に対して観察する者が抱いている非言語的な感性的感覚による質感が欠落します。

本来あるべき知的理解とは、非言語的な言語化前のアクチュアルな生の体験を、できるだけ言語によって整理する行為でなければなりません。言語前の非言語的な生の体験を離れて、論理的に推論するだけでは、機械的で物事の表面的な理解になるだけに終始する危険性があります。

人間の知的理解能力が、脳の高次機能の働きによるとしても、脳を含む身体は、観察対象を知的に理解する前に、自己が世界と触れあい、すでに共鳴的に反応しているのです。脳もそうした感性的なものにつき動かされているのです。

脳は、非言語的な感性的なものにまずは反応し、その質感を瞬時に育った文化がもつ言語によって情報を分析し識別し整理して、現象世界を再構成していると考えられるのです。

人間の知性的なものの前には、必ず感性的なものがあるのです。感性的なものを理解するために知性的なものを働かせる必要があるといえるのです。