共感の影(1)

新一年生

心理社会的支援において、よく言われる共感という概念について、抜本的に見直さなければならない時期が来ていると思われます。

共感は、本来、誰かに共感してもらうことを求めるようなものでもなければ、逆に、共感を誰かにしてあげるものではないと思います。そうした共感は、幻想的共感といえます。

幻想的共感を求める人は、共感されないことに一層深く傷つき憤怒することになります。また共感しようとする人は、共感し切れない自分に傷つき追い詰められ絶望します。

気をつけなければならないことは、共感は協働作業(いま・ここの世界)から生まれてくるものだということです。場から創発されるようなものなのです。決して、してもらうものでなければ、するものでもないといえるのです。

心理社会的支援において、カウンセラー、支援員、あるいは相談員は、弥陀でも観音様でもなければキリストでもありません。支援者も苦悩や煩悩だらけの凡夫に過ぎません。共感は、自・他断絶の現実を実感・自覚する者同士が、それでもその溝を共に埋めていこうとする協働作業の場から沸き上がってくるものとしてあるといえるのです。

共に真摯にお互いの不一致の現実を受容しあい、それでも共に一致を求めあっていく協働作業のうちに、あるとき一瞬、突然のようにして場の中に生まれくるものとしてあるのです。まさにその瞬間に何かそれぞれの自己を超えた、何か自然のはからいを感じるのです。

苦悩・煩悩を抱えて、誰かに傾聴と共感を求める者も、その苦悩に共感しようとする者も、己の無知・無力の実感・自覚を忘れてしまい、ひょっとすると救済者幻想に囚われているのではないでしょうか。