2.5者関係

乳幼児期早期から長期にわたる虐待を受け、複雑性PTSD、愛着障害、発達障害などと医学的診断が下された子どもに対する心理社会的支援(心理療法を含む)において、まずは母子関係の修復を意識した対応、あるいはもし母子関係の修復が困難であれば養母、里親や施設の担当職員との2者関係の再構築を図り、その上で、適切な3者関係を図る段階に移行していくといった一般論があります。しかし、実態は、なかなかそのようには心理社会的支援が一般論どおりに展開しないのが現実です。

2者関係強調論の背景には、母性神話があります。母性神話が、まずは適切な2者関係の構築を目指すという仮説を作りだしていると思われます。しかし、重要な保護者的存在(母とは限らない)との2者関係で深く傷つき、2者関係を作りだすことの不得手な子どもにとって、2者関係を強く意識した支援ほど負担の大きいものはありません。親密な2者関係を強調した支援では、むしろ、かつての心的外傷を身体レベルで刺激しやすく、陰性の感情の想起や多彩な心身の症状を引き起こしやすくなります。その結果、再構築を図ろうとする人との間でも、かつての不適切な人間関係が再現され、2者関係が再び破壊的な関係になる危険性を高め、場合によっては、新たな2者関係でも人間関係が煮詰まってしまいます。

実は、安定した2者関係を支える基盤には、もともと安全で安心できる場がなくてはならないのです。安全で安心できる多様な人間関係のが保障されている世界内でこそ、安定した2者関係の再構築が可能なのです。

人は、必ずひとりで死ぬべき運命にある孤独な存在です。その意味では、2者関係の絆だけを基盤にして生きる生き方では、重要な絆だった対象を失った途端、強い対象喪失感から、簡単に絶望の淵に追いやられてしまいます。しかし人生の孤独を支えるものは、親密な2者関係以上に、誰もが平等に死にゆく世界に、むしろ包摂されているという世界との一体感が大切となるのです。世界に包摂されているという感覚を抱ける者が、1者の孤独に耐えられ、かつ適切な2者関係や3者関係を構築できるばかりか、2者関係や3者関係の不一致の孤独にも耐えられるといえるのです。

世界に包摂される体験とは、具体的な心理社会支援においては、その場によって包摂されることです。被支援者の具体的生活を取り囲む人たちが構築する安全で安心できる場がいるのです。保護的な場があって、2者関係の行き違いもよき場によって適切にホールドされ、包摂される体験に支えられて、適切な2者関係の再構築も可能となるといえるのです。

「2.5者関係が大切」と象徴化してもいいでしょう。「2.5」の意味は、厳密には、1即2即3即・・・という意味です。1には2、3以上が包摂されているという意味です。また2にも1や3以上が含まれているという意味です。すべてが一即多にあるところが場です。一即多という意味です。また、2と3の間を、行き戻りつつという意味もあります。

2者関係ではなく、人間関係が縁起的包摂関係(ホロニカル関係)にあるという実感と自覚のできる場の構築が、複雑な問題を抱え込んでいる子どもへの心理社会的支援において求められるのです。

永続的な人間関係や場の保障というパーマネンシーは、人と場とのホロニカル関係の構築という観点から捉え直す必要があると考えられるのです。