“こころ”とは(8):絶対無(空)としての“こころ”

ある箱庭

絶対無とは、「有無の対立を超越して之を内に成立せしめるもの」(西田幾多郎全集4巻,p220)といわれます。絶対無とは、何もない虚無という意味ではなく、相対無(意識など)・相対有(物質など)を創り出し、かつそれらを超越的に包摂するものと考えられるのです。

私たちが通常見ている世界は、意識がつくりあげた観察対象としての世界であって、真に実在する世界は、もっと直接的で直観的に実感・自覚的なものといえます。

実感・自覚的に立ち顕れる究極の世界には、自己及び世界そのものが立ち顕れる場所がなければなりません。そこに真の世界のみならず、真の自己の根源があると言えます。そして自己と世界が立ち顕れる場所が「絶対無」は「空」といえるのです。

ホロニカル心理学では、自己と世界が立ち顕れてくる場所としての「絶対無」が仏教でいう「空」であり、「絶対無(空)」が“こころ”と考えています。