地縁・血縁・人の縁


昨年、札幌で、北海道在住の同世代のご夫婦と一緒にジンギスカンを食べました。その方々は北海道は地縁・血縁が薄いので、住みやすいと言ってみえました。ではお二人は孤立しているかというと、そうではなくて、とてもお知り合いが多いとききました。

多分仕事なりボランティアなり、何かを一緒にした、あるいは世話をした・されたといった、直接のかかわりを通しての「知り合い」ではないかと思います。こうしてできた「知り合い」は、地域・親族と言った抽象的な「縁」ではなく、「私」が直接関わって、いい人だな、信頼出来る人だなと感じた人と主体的に「縁」をつないでできたものかと思います。いわば、顔のみえる「人の縁」とでもいえるのではないでしょうか。

「地縁・血縁」には良い面、悪い面あるかと思いますが、主体的に結んだわけでもない、しかも顔のみえない人達との、義務の多い「縁」に、息苦しさを感じてしまうということも多々あるかと思います。

一方で、最近は「地縁・血縁」が薄くなったと嘆く方も多いでしょうが、どんな「縁」(地縁・血縁・社縁・知縁・・)であれ、それが有用なものとなるとすれば、そこには必ず、直接的な顔のみえる「人の縁」があるはずです。

この場のような、主体的な、心地よい、気楽な「人の縁」づくりを大切にしていきたい、と、ジンギスカンを食べ終わった後のデザートのソフトクリーム食べながら思いました。

(定森露子)

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