解脱とは

ホロニカル心理学は、解脱を希求をしているわけではありませんが、仏教でいう解脱についてホロニカル論的に考察してみたいと思います。

まずホロニカル心理学からみると、ABCモデルのC点からのホロニカル体験実感・自覚が解脱ではありません。C点段階では、あくまで観察主体である現実主体による出来事の絶体矛盾的自己同一の「理」の面の実感・自覚の段階(自己意識の発達段階では、第5段階)といえます。

C点の樹立とホロニカル体験の累積は、やがて観察主体としての現実主体の意識を超脱して、一瞬、自由無礙の「IT(それ)」そのものによる俯瞰のレベルの段階に至ります。この段階になると、「IT(それ)が現実主体を通して、自己と世界が自由無礙に触れあっている境位に至ります(第5段階から第6段階への移行期)。

そして、さらにホロニカル体験が蓄積すると、やがて現実主体がすべて心身脱落して、「IT(それ)」そのものとなると、もはや「IT(それ)」が「世界」を見ているという関係も消融して、「IT(それ)」、現実主体と世界が一となって触れあいながら融通無礙の世界に自ずとなると考えられます。その段階が、「宗教的体験」としての「解脱」「悟り」の段階と想定されます(第6段階)。

自己と世界の関係は、本来常に「一」の関係にもあるのですが、自己は、「IT(それ)」や現実主体を通して自己と世界の一なる関係を実感・自覚する場もなく、自己と世界の不一致ばかりに現実主体の意識がいくため、そのことが人生の苦悩を形成してしまっていると考えられます。自己意識の発達を安全かつ安心して促進できるの構築が必要と思われます。

 

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