絶対矛盾的自己同一(2):“こころ”の振る舞い

“こころ”を物質から独立した実体として捉えるのか、それとも“こころ”を物質活動による反映と捉えるのかという議論があります。前者の立場は唯心論といわれ、後者の立場は唯物論と言われます。

ホロニカル心理学の立場は、唯心論か、それとも唯物論かと問われるならば、“こころ”とは物質活動のように可視化されるように振る舞えば、可視化することが不可能で非物質的に振る舞うものと捉えていると、西田哲学のいう絶対矛盾的自己同一に振る舞うものという非二元論的な答え方になります。

“こころ”を絶対矛盾的自己同一の立場から捉えるホロニカル心理学の立場からすると、唯心論も唯物論も心身の分離を前提として出来事を考える古代ギリシャ時代からの二元論的な思考の影響があるように思われます。

“こころ”の絶対矛盾的自己同一のような非二元論的知は、分析、解釈、内省、測定、観察を通して得られる知ではなく、「般若の智慧」といわれるような直接体験の直観に基づく知といえます。