ホロニカル心理学を支えるパラダイム

ハイゼンベルク

世界を構成する究極的な要素は何か、またそれらを結びつける根源的な法則はどんなものかといった問いが近代科学の問いだったといえます。そして究極的要素とは、原子であり、それらを結びつける普遍的法則はニュートン力学で説明できると思われました。その結果、世界は、要素還元主義的、機械論的に理解可能だと合理的に判断されました。

ところが20世紀に入ると同時に、要素還元主義的機械論的世界観の限界が明らかになり始めました。究極的な構成要素と考えられた粒子の振る舞いは、とても不確定であることが明らかになるとともに、ニュートン力学が前提とする絶対空間や絶対時間の前提そのものがアインシュタインの相対性理論によって崩壊してしまったのです。

元来、ヨーロッパに始まる近代科学は、中世の哲学、神学と科学が分離不可能であった状態から、科学を宗教及び哲学から独立させる試みから成立したといえます。そのため科学の論理と記述は、できるだけ主観的表現を排し、誰もが同じ手続きを踏襲さえすれば、同じ結論を検証することができるような客観的指標やそうした指標に基づく研究法を確立してきました。こうして、すべては、数学的表記及び幾何学的な表現によって記述可能であり、近代科学の技術をもってすれば、自然すらコントロール可能と考えるようになりました。こうして、近代科学は数量化不可能な「主観的なるもの=観察者の意識」を、観察と言う行為の中から排除することによって成立してきました。

近代科学は心理学の成立に対しても大きな影響を与え、説得力のある心理学の言説は、分析的であり、なおかつ心理・統計学的なデーターに根拠を求めるような理性的な科学の装いをもつようになり、意識の問題も次第に科学の対象となり、物理現象(脳)の問題に置き換えられて考えられるようになり、今日に至っています。心理学を哲学や宗教から独立させ科学として捉える流れです。

しかしながら相対性理論を契機にさらに進む現代物理学の最先端の量子力学では、世界の中にそれだけで存在してる部分(粒子)という事はあり得ず、ある現象がある現象そのものに原因があるということ自体を否定してしまいました。しかも空間的時間的に遥か離れた現象間には、光速を超える情報交換があり得ることを前提にしなければ量子力学の確率論的な正しさを証明できないことが、ベルの定理によって数学的に証明されています。ある地点で行われた行為や現象によって、遠くにある現象が直ちに変わるという現象はあり得るということをベルの定理は明らかにするのです。電子の位置と運動量を同時に確定できないという量子力学の基本的な性質となっている不確定性原理も近代科学のパラダムの根柢を揺さぶります。観察行為と観察結果の関係を独立に扱うことができないということは、世界を超越的にあたかも外から観察するような「客観的立場」という根本的前提が崩れてしまったといえるのです。

自己は、世界の一部を構成する機械的な部品ではありません。自己は、静止的な機械的部品と違って、絶えず変化する自己組織化する個物(部分)として、他の存在とホロニカル関係(縁起的包摂関係)を形成しながら、かつ固有の個物として自律的に振る舞います。世界もまた、自立自存する多の存在とホロニカル関係を形成しながら、部分の総和以上の全体的世界として自律的に振る舞うと考えられます。

脳の生理・神経学的な作用だけで、複雑な“こころ”の現象のすべてを説明しきれません。可視化可能な相対有の生理・神経学的な次元の説明言語だけでは、可視化不可能な相対無である高次な精神活動まで説明することは不可能です。可視化可能な相対有の概念でもって、可視化不可能な相対無を説明することには限界があり、カテゴリーエラーといえます。

脳科学の論理や言葉でもって“こころ”の作用の一部を説明することは、“こころ”の特性の一部である物質としての論理性を明らかにする契機にはなり得ても、“こころ”の複雑な作用の全体は、可視化や対象化が不可能であり、最終的には実感する以外にないといえるのです。