不一致・一致(6):自由無礙の俯瞰

自己と世界の関係において不一致に揺れる自己を、一致させなければいけないという価値観をホロニカル主体(理)として内在化する観察主体(外我)をもつ人は、結果的に不一致ばかりに視野狭窄的になります。そして観察主体は、自己と世界の不一致の直接体験を一致させようする外我に執着し、不一致・一致に揺れる直接体験を直覚している内我を無理矢理コントロールしようとします。すると観察主体と観察対象の不一致がむしろ増幅され、悪循環パターンにどんどん陥っていきます。

通常、自己と世界の一致のホロニカル体験は事後的に気づく体験です。ふりかえってみてはじめて、「あの時、そういえば、無心になっていた」と実感・自覚するものです。

大切なことは、無心になると自己と世界の一致のホロニカル体験となるが、意識した途端、自己と世界の不一致になるという、不一致・一致の直体験の行ったり・来たり自体を、しっかりと観察できる「自由無礙の俯瞰」の獲得といえるのです。

自己と世界の一致ばかり求めたり、癒やしを求め続けると、他者や社会に対して、自分のことをわかってもらおうとする気持ちばかりに貪欲になって、むしろちょっとした不一致の現実への耐性心を失ってしまうのです。