絶対矛盾的自己同一(3):自己意識の発達の関係

絶対矛盾的自己同一」とは、西田幾多郎の哲学の重要概念です。AとBが相矛盾しながら同一にあるということは、ホロニカル心理学の自己意識の発達が第4段階から理解可能です。しかしながら第4段階では、外我レベルでの知的理解にとどまり、内我レベルでは実感できておらず、外我も自覚というレベルまでには至っていません。第4段階レベルでは、相矛盾するものが同一にあるという論理自体を、分別の論理をつかって知性的に理解しているに過ぎません。絶対矛盾的自己同一の実感・自覚のためには、無分別の論理による智慧が必要になります。

そのため絶対矛盾的自己同一をわかったつもりになった自己意識の発達段階が第4段階までの人の場合は、悪循環にすぐに陥ります。Aを自己と世界の不一致の連続による苦悩とし、Bを自己と世界の一致による無境界的な全一的至福とするとき、AとBが同じならば、Aの苦悩から一刻も早くBの境位に至りたいと、貪欲な希求を抱き、結果的に煩悩Aを受け入れることができず、たちまちのうちにAに立ち戻るという悪循環に陥るのです。

しかしAを自己と世界との不一致の出来事による様々な苦悩(多)とし、Bを自己と世界の一致によるホロニカル体験(一)とするとき、AとBの行ったり・来たりのうちにAとBが相矛盾しながら同時的に存在することが自ずと了解できるようになってきます。自己と世界の不一致による重々無尽の世界が、実は自己と世界の一致によるホロニカル世界でもあり、全一の世界がそのまま重々無尽の世界であると目覚めていく段階が第5段階です。第4段階では理解が知的なレベルにとどまるため、A即B、B即Aを実感・自覚するまでには到達していません。AかBかだけはなく、グレーがあるかも知れないとまでは実感できますが、AがBでもあり、BがAでもあるということまでは了解困難です。第4段階では、外我が自己と世界が不一致のときに働く「対象論理」によって事物を識別・分別し続けているからです。第5段階への移行のためには、対象論理を越えて、無我・無分別を含む「テトラレンマの論理」が必要になります。

なお、自己意識の第6段階では、もはや論理すら関係なく、華厳思想でいう事事無礙の境位になるようです。