効果があったのか

21世紀に入って20年以上経過した臨床心理学や精神医学の知見は、当事者の立場からみて、本当に望ましい変容や期待すべき効果をもたらしたといえるのでしょうか?

歴史を振り返る時、理念・理想に向けての政治・経済・社会の制度は充実してきたかのように思われます。がしかし、それは一方では、かなりの代償を伴っているように思われます。

何故ならば、人と人の関係の無縁化・疎遠化は著しく人は孤立化してきています。また経済のグローバル化の促進や高度情報化社会の到来は、生活世界に急速な変化をもたらし続け、ほとんどの人が、加速度的に変動する社会に対して、ひたすら時間に追いたてられながら受動的に生きるしかなくなってきています。こうした加速度的に変化する社会は、当然のこととして、“こころ”の衝動性や強迫性を高め、傷つきに過敏になり、強迫症状・不安症状・パニック症状・うつ症状などの症状の明らかな増大をもたらしています。

しかも臨床心理学者や精神科医など、“こころ”の専門家は、内的世界の問題を事例化するための新しい概念を大量に発明していきます。そして専門用語の増加と社会への流布と薬の開発は、ついに“こころ”の問題の医療化・個人病理化の促進と問題解決の市場化・産業化を可能としてきたといえます。

しかしこうした社会的変化については、開業の臨床心理士として反省・自戒すべき点が多々あるように思っています。“こころ”の問題解決の市場化・産業化は感情労働サービスを受益する権利を人々に保障したかのように一見すると思えます。が、しかし、実際的には、政治・経済や文化のもつ影の問題すら、すべて個人病理と自己責任と自助努力による解決の問題に帰せられてしまい、とても個人の自助努力だけでは解決できない問題まで個人が背負ってしまう傾向をもたらしているように思われます。問題の個人病理化や自己責任化の視点だけでは、個人を病気まで追い込む問題の巧妙な隠蔽や先送りを招く危険性があることを忘れてはならないと考えられるのです。

特に、ここ20年あまりの臨床心理学や精神医学の知見は、生きづらさを感じている人たちにとっては、より生きやすい人生の道を発見・創造する手がかりになるというよりも、生きづらさの要因や原因ばかりで頭を飽和にさせるか、さもなくば、さっさと問題解決の主体の座から降りて、専門家のサービスに身を任せることばかり覚えさせてしまったように思われるのです。

もし、21世紀が、“こころ”の管理社会のはじまりの世紀になりかけているならば、 “こころ”の問題を当事者の手に戻す革命が必要になっていると思わます。臨床心理学や精神医学は、人から悩む権利まで奪ってはならないと真剣に考えられるのです。