あるがまま(2):直接体験に生きる

あるがままに生きるとは、ホロニカル心理学的には、自己と世界不一致・一致直接体験に生きるということです。観察主体となる我(現実主体)が我を忘れ、自己が直接体験そのものとなって生きることです。しかし、自己と世界は、絶えず不一致と一致を繰り返しながら生成消滅を繰り返しています。したがって、あるがままに生きるとは、不一致と一致が非連続的に展開する人生の悲哀をそのまま生きるということを意味します。

しかしこうした生き方に覚醒するためには、自己意識の発達が必要になります。「我なし」の生き方を実感・自覚しながら生きるためには、それ相当の行も必要になります。

観察主体となる我(現実主体)が我を忘れるとは、何かを思惟したり反省する我の意識を無にし停止することです。しかし、思惟したり反省する我を無にするとは、思惟や反省を否定することではありません。それでは、まさに我の意識が一層活性化してしまい、思惟や反省を否定的に思惟したり反省するという無限後退のパラドックスに陥ってしまいます。もしそのようなパラドックスに陥った場合には、執着してしまっている出来事をとりあえず“こころ”の脇におくなどして、呼吸に集中したり、他の“こころ”が穏やかになる出来事を想起したり、「今・この一瞬」における現前の出来事を直観的に受け止め生きることです。自己と世界の不一致の出来事を受容しつつ、そのままそのことに無頓着になって、自己と世界の一致の出来事に意識を向け、不一致・一致の出来事をあるがままに実感・自覚することです。このことができるようになるために、それ相当の行が必要になるわけです。ただ中には、いとも簡単にそれを成し遂げる人もいるようです