エポケー

現象学を提唱したフッサールのいう日常的な判断を一時保留(エポケー)して、現象を観察するとは、ホロニカル心理学的には、現実主体(我)ホロニカル主体(理)による識別を保留して、そのまま直接体験を観察するという態度を意味します。しかし、無我となって「物となって見る」と日本の哲学者である西田幾多郎の無我を重視する立場と同じくするホロニカル心理学の立場からすれば、フッサールの観点には、なお観察主体の現実主体(我)の働きがあり、その態度は徹底していないと思われます。