境界と無境界

私たちが「川」と呼ぶものは、どこから川がはじまり、どこからが川でなくなるのでしょうか? 川と川でない境界をどこで区別したらよいのでしょうか?

川と呼ばれるものは、水が水源から集まって水路をつくり支流を形成し、やがてひとつの本流となって海に流れ込みます。

しかし、上流部のさらに上流とは、どこのことなのでしょうか。海に流れ込んだ川は、どこまでが川で、どこからが海なのでしょうか。

川の途中で蒸発した川は、どこまでが川なのでしょうか。途中で雨水で増えた川は、どこまでが川なのでしょうか。蒸発した川によってできた雲は、どこまでが川なのでしょうか・・・こうした疑問を投げ続けていくと、最初に私たちが識別していた川の境界が、次第に曖昧になっていきます。

そして、むしろ川と識別しているから川があることに気づきます。あたかもあるかのように思っていますが、名を言葉で与えて識別する前には、どこにも川などなく、ただあるがままの渾然一体の現象世界があるだけといえます。山も川も草も木も空も鳥も、本来、融通無礙に相即相入的に一つなって、渾然一体となっている出来事の世界があるだけといえるのです。

自己も、こうした川に他なりません。どこまでが、自己でどこからが非自己なのでしょうか。自己も私たちが識別する以前は、ただ多様な変化するひとつの世界の出来事にすぎないといえます。