対人援助の意味

現代社会は、生きづらさの原因を分析したり解釈することに、かつて以上に執着的になってきています。その結果、生きづらさの要因がよくわからぬものの、とりあえずどうしたら少しでも生きやすくなるかをみんなで検討しあっていたような、自然発生的な地域社会における助け合いの精神は消えてしまいました。生きづらさの問題は、地域社会に代わる専門家によって要因分析され、その要因に詳しい専門家が解決すべき問題に変換されだしたのです。現代社会は、地域社会がもっていた人に対する社会的包摂能力を失ってきたといえるのです。

地縁血縁の絆による社会的包摂能力をもった地域共同体に代わって登場してきたのが、専門的知識をもった感情労働サービスを生業とする多職種にわたる対人援助職といえます。対人援助職の登場は、生きづらさの問題を専門用語に変換し、専門的支援によって解決を目指すという社会構造を作り上げてきました。特に精神衛生の観点は、生きづらさの問題を、「病理」とし、「治療」の対象とする範囲を拡大させてきました。対人援助は、もはや素人の手を出すべき問題ではなく、専門家による専門的智慧による見立てと専門的技術による支援という言説に変質してきたのです。

生きづらさの問題は、あらかじめ定められた基準や学説の概念によって診断され、専門家による別の言葉によって翻訳され直されます。その行為は、当事者の腑に落ちることがない場合でも、専門家によって定義されていきます。ところが、専門分化の著しい専門家は、自らが得意とする「病理」や「問題」の見立てと、その「治療」「支援」を限定的サービスとして提供するのみです。専門家が異なると、異なる見立てと異なる方針が錯綜することも稀ではありませんが、混乱は統合されることは決してなく、バラバラに提供され続けます。その結果、当事者は、ますます混乱し、よりよき治療や問題解決を求めて専門家の間をドクターショッピングすることに駆り立てられます。こうして、専門家への受動性・依存性を高めるか、あるいは専門家に絶望する人も増えます。

しかし打開策はあります。ただし、そのための前提として、対人援助職は、“こころ”の専門家ではなく、“こころ”が専門家だということへの意識の転換が必要です。“こころ”は問題を創りだす源ですが、問題解決の道を発見・創造する源でもあるのです。誰もが自分自身の“こころ”に専門家を持っていることに目覚めることが大切です。そして、改めて、みんながあれこれ、誰かの生きづらさを共にし、ワイワイガヤガヤと、少しでも生きやすくなる方向を共創的に発見・創造することが大切になるのです。

こうしたサポートは、専門家であろうとなかろうと対人援助の基本といえるのです。