客観的世界(2):自己を含むか含まないかで異なる世界

九相詩絵

自己抜きの観察対象に関する認識の論理が近代科学の土台にあった西洋哲学の特徴です。これに対して東洋の論理は、自己自身の“こころ”を観想する中で発見された“こころ”の論理であって、西洋で発見された論理とは異なります。

西洋発の科学の論理の観点には、自己が含まれていません。自己抜き対象世界を客観的世界としてきました。これに対して東洋、特に仏教では、西田幾多郎が指摘するように、「仏教は自己そのものに徹底して、自己は無にして有なるものと考えた。主体の底に主体を否定して、そこに客観的世界を見出したのである。」とあるように、自己を含みつつ自己を無として超えた世界を実在する世界としてきました。

その結果、西洋の論理では観察対象となる絶対有(相対有と相対無)からなる場所が客観的世界となりますが、東洋の論理、特に仏教では、観察対象が無となったときに実感・自覚される絶対無(空)を含む場所が実在する世界として描かれます。

ホロニカル心理学は、観察主体と観察対象不一致となるときは自己から見た対象世界に西洋の論理が成立し、両者が一致したときは自己を含む世界に東洋の論理が成立すると考えています。観察主体と観察対象の関係性を論じることによって、西洋の論理と東洋の論理を統合的立場から論じることができると考えるわけです。