“こころ”とは(39):意識と存在のゼロ・ポイント

万物を含むすべての出来事は、瞬間・瞬間、それぞれに独立していながらも共時的に相互限定しあいながら生成消滅を繰り返していると考えられます。何かが何かに対する原因ではなく、すべての因果がめぐりあっていると考えられるのです。

しかもすべては創造的な生成消滅であり、新たな世界が非連続的に推移していきます。まったく同じ出来事が展開することなどないといえます。すべての現象が、唯一無二のかけがえなき出来事と考えられます。

そうした無常のはかなさを知る人間は、いつも“こころ”のどこかで、普遍的なるもの、永遠なるものを希求します。しかながら、そうしたものは、この世の無常の世界には見当たりません。むしろ、すべての顕在化する現象世界を産み出している背景に常に働いている場のようなものが、普遍的なるもの、永遠なるものと考えられます。それは、哲学では、有無を創造するものとしての「絶対無」とされ、仏教では、「空」とされているものといえます。

それは、井筒俊彦のいう「意識と存在の0ポイント」といえます。

“こころ”は、潜在的には、「絶対無」「空」「意識と存在の0ポイントのようなもの」であり、本来、「絶対無」「空」「意識と存在の0ポイントのようなもの」が、それぞれに独立していながらも、同時に相互限定しあって、多層多次元にわたる重々無尽の非連続的に連続する生成消滅の顕在世界を創り出しているとホロニカル心理学では考えています。