新しいコミュティづくり

コミュニティは、ある一定の価値基準をひとつの社会文化的まとまりとしてもっています。

そのため特定のコミュニティだけに生まれ育った人は、コミュニティ特有の価値・規範・習慣が、あたかも世界共通の常識であるかのように思い込んでしまいます。しかし何らかの事情によって、これまで内在化してきた常識が全く通じない出来事や異文化に出会うことがあります。このとき、あまりに接触したことのない異文化に出あった人は、自己の底のレベルから地殻変動にも匹敵する揺さぶられ体験になります。場合によっては、自己同一性の危機となります。こうした心理社会的危機は、個人レベルでもコミュニティレベルでも起きますが、コミュニティレベルの方が圧倒的な危機となります。戦争や革命は、そうした社会的危機といえます。

文明・文化の衝突のような圧倒的な社会的危機のとき、異質性を排除しない自由度を持っているコミュニティならば、危機を契機に新しい価値を創発する可能性が高いといえます。

現代の日本社会は、個性化を尊重し希求する時代になりましたが、こうした個性化への歩みが、個と個の分断を招くことなく、相互包摂的な共生社会へと移行していくためには、個性化の追求とともに、どのようなコミュニティ感覚を培っていく必要があるのかについても明らかにしていく必要が出てきています。自己の存在の「個」と「公」の関係の再統合再構築です。

・外発的動機による道徳教育と倫理的拘束から、内発的動機に基づく自発的倫理観の探究への移行。
・無理に足並みを揃えなくても安全感・安心感を抱けるローカルなコミュニティの構築。
・過度な引きこもりや過度な自立に追い立てられることなく、みんながいる場所で、それぞれが個性的存在として、ほどよい感覚を抱けること。
等々

上記にあげるような価値が通底するようなコミュニティづくりが大切になってきているように思われるのです。

まだまだ他にも通底する条件整備が必要と思われますが、いずれにせよ、あるコミュニティ内で、多様で多元的な価値との出あいを楽しむことができる場所づくりが必要になり、「身内」と「他人」との「中間世界」に「多数の親密な他者」が生きるコミュニティの有無が、個性化時代の生きづらさを左右すると考えられるのです。