観察主体と観察対象を区分しつつ、観察主体の視点を、我(現実主体)の意識活動である主観の働きを一切排除して世界の外に置くとき、観察対象となる世界は、物理的な現象界になります。しかも主観を排除した世界には、いわゆる決定論的因果に基づく機械的な論理を発見することができます。
しかし、こうした科学的な視点は、多様な観察主体と観察対象の組み合わせのパターンの一つに過ぎません。心理学は、そうした観点だけでは通用しません。
心理学は、主観と客観との関係など、観察主体と観察対象の関係自体を扱うものでなくてはなりません。
心理学は、主観となる観察主体の意識を排除するのではなく、主観と客観が対立するときから主観と客観が合一とするときまでを含むものでなくてはなりません。観察主体となる意識の状態がいかなる観察対象世界を創り出すかを明らかにする必要があるのです。
“こころ”の現象を扱う心理学は、客観的物理学的現象面とか、非合理的なものとか、因果を超える自由意志とか、思想・信念とか、歴史・文化とか、哲学・宗教・倫理の影響まで含む生きた世界を扱うものでなくてはならないと考えられるのです。