あるがまま(3):生成生滅のまま

自己を超えた次元」「自己の深みの次元」を強く希求した末、出あうものは、暗闇の世界の恐怖でも、光に満ち溢れる世界への驚嘆でもなければ、「すべてが、ただそのまま生死となってせめぎ合っているあるがまま」への覚醒です。「暗闇の世界」も「光に満ち溢れた世界」も、まだ自己意識のなせるイマージュに留まった状態といえます。

「自己を超えた次元」「自己の深みの次元」の極みは、別に極楽浄土でもユートピアでもなく。「すべてが生成消滅のあるがままにある」ことへの覚醒です。「すべてが生成消滅のあるがままにあること」の「理」「出来事」、内在即超越の出来事の実感・自覚です。自己の底や無限の天においては、自己が忘れられ、目の前の無常の生成消滅の世界が立ち顕れてくるのです。

しかしながら、心理社会的支援に関する学問が、非政治的、内面的、観想的な側面を強め、個性化の探究が現実世界を厭離し、人類普遍の人格的な陶冶を目覚めさすような修養的なものになりすぎることは危険です。その反対に、心理社会的支援に関する学問が、社会文化的価値をめぐって政治的、外面的、運動的なものになりすぎることも危険です。

人は誰もが一切合切の矛盾を、背負った場所的自己といえます。そこで人は、場所的自己として一切合切の矛盾を背負いながら真剣に苦悩する体験過程を通じて、あるがままとの差異の実感・自覚との自己照合を通じて、自己と世界の不一致による自己違和感が少しでも一致する智慧を創発していきながら、より適切な自己と世界を自己組織化することが大切になります。