
私たちはふだん、“こころ”という言葉を、ごく自然に使っています。
「心が動く」「心が疲れる」──そんなふうに、まるでそれが自分の内側にある“何か”であるかのように感じています。しかしながら、ホロニカル心理学の立場から見ると、こうした一般化している「心」の捉え方は、少し見直す必要があると考えます。
一般的には、“こころ”(あえて「心」という漢字表記と区別します)は個人の内側にある主観的なもの、つまり「私の中にあるもの」として理解されがちです。しかし、ホロニカル心理学では、“こころ”をそのように独立した主観としては捉えません。むしろ、“こころ”とは、主観と客観にわたるすべての現象が関係のなかで展開する「場」そのもとして捉え直します。
このように、“こころ”を主観でも客観でもなく、場として捉える見方は、決して新しいものではありません。むしろ、この感覚は、古来より日本人の生活や文化の中に、自然なかたちで息づいてきたものだといえます。たとえば、日本語の“こころ”という言葉には、人と人との関係のなかで通い合うもの、場の空気や気配として感じ取られるもの、あるいは自然や季節の移ろいと響き合うものとしても用いられてきました。また、日本文化において大切にされてきた「間(ま)」や「気配」といった感覚も、同様の理解につながります。そこでは、目に見えるものだけでなく、言葉にならない微細な変化や関係性のゆらぎが重視されてきました。さらに、自然との関係においても、日本人は自己と世界を切り離すのではなく、互いに響き合うものとして捉えてきました。四季の移ろいに“こころ”を重ね、風や光、音の変化に感情が動くとき、そこにはすでに、主観と客観を分けない“こころ”のあり方が顕れています。
このように見ていくと、ホロニカル心理学が提示する“こころ”の理解は、まったく新しい概念というよりも、古来日本人が体験的に培ってきた感性を、現代的な言葉で再び捉え直したものともいえます。