「今・ここ」を生きる(2)

AIで作成

「今・ここ」を生きるということは、特別な精神状態になることでも、刹那的に快楽を追い求めることでもありません。

それはむしろ、いま自分の身体に生じていること、“こころ”が揺れている方向、まだ言葉になりきらない感覚に、そっと注意を向けることから始まります。

たとえば、呼吸は浅いのか、深いのか。胸はざわついているのか、それとも静かに落ち着いているのか。「何を感じるべきか」と判断するのではなく、いま実際に起きている直接体験を、そのまま受け取ることです。この小さな受け取りが、主体的に生きる感覚を静かに育てていきます。

現代の私たちは、未来のために現在を犠牲にしたり、反対に、現在の快楽へ逃げ込んだりしがちです。しかし、そのどちらも、深い意味での「生きている実感」にはつながりにくいものです。

生きている実感・自覚は、いま自己と世界との出あいに生じている微細な動きを、丁寧に感じ取るときに、自ずと立ち上がってきます。

「今・ここ」を生きるとは、次の三つを、ほんの少し意識にのせることです。

* 過去の経験が、いま自分の身体や感情にどのように響いているのか。
* 未来への不安や期待が、いまどのような形で身体に顕れているのか。
* 過去と未来が重なり合う一瞬・一瞬の厚みを、どのように実感しているのか。

そして、感じ取ったことを、自分の言葉で語ることが大切です。うまく言えなくても、まとまっていなくても構いません。むしろ、曖昧さや言いよどみのなかにこそ、自己の主体性が息づいていることがあります。

借り物の理念や、誰かの言葉だけで自分を語ろうとすると、主体は弱っていきます。言葉が身体から離れ、実感が抜け落ちてしまうからです。だからこそ、感じたことを、自分の声で、自分なりの歩調で、少しずつ言葉にしていくことが必要なのです。主体を欠いた自己は、外側の価値に振り回され、生きているにもかかわらず、生きていないような感覚に陥ることがあります。しかし、いま感じていることを丁寧に受け取り、自分の言葉で確かめながら生きるとき、自己は世界との出あいを取り戻していきます。そのとき未来は、無理に切り開くものではなく、現在の直接体験の深まりのなかから、自然に開かれていきます。自己は静かに息を吹き返し、再び、自分自身として生きはじめるのです。