テトラレンマ的理解(2):東洋の論理

観察主体と観察対象が相対立してしまう西洋的な主客二元論的世界観では、“こころ”のことを深く理解するには限界があるように思われます

むしろ、“こころ”の現象の理解に関しては、東洋のテトラレンマの論理がとても参考になります。ナーガールジュナ(竜樹)は、「①Aである」「②Aでない」「③Aであることもなく、Aでないこともない」「④Aであることもあり、Aでないこともある」という四句分別といわれる東洋の論理を明かにしたとされています。四句分別の東洋の論理からすると、西洋の論理は、①と②のロゴスで説明される論理といえます。

“こころ”は、「あるか」「ないか」と問うとき、西洋の論理では、「あるか」「ないか」のいずれということになります。しかし東洋では、「あるといえる」「いや、ないといえる」「いや、あるとも、ないともいえない」「いや、あるとも、ないともいえる」となります。“こころ”の現象を、観察対象となる“こころ”が存在として「あるか」「ないか」といった対象論理的でもって、観察主体から切り離して論理的に説明しようとする西洋のロゴス中心の論理ではなく、主客合一を含む、直観的な了解を含む出来事として捉えると、単純な機械論的な因果論の西洋の論理だけでもって、“こころ”の現象を理解するのに限界があると考えられるのです。

ホロニカル心理学では、西洋の対象論理と共に東洋のテトラレンマの論理にも注目します。