70代の母親のことで悩む40歳代の陽子(構成的事例)

注):ホロニカル・アプローチによる隔週で5回目のセッションです。カウンセラーはCoと略記。事例は、いくつかの類似事例を元に構成的事例として創作しています。

陽子:「母親のことが恐くなくなって、だいぶ落ち着いてきた」「何かいうと(母が) ブスっとしているけど、放っておくしかないんですよね」「わかってもらおうとする気持ちはなくなってきて、そういうものなんだ、そういう人なんだと、放っておくしかないですよね」とCoに同意を求めてくる態度の陽子さん。
Co:適宜支持的に要約反射しながら、<放っておくしかないと思うようになってこられてだいぶ楽になったのですね。ところで、放っておくというのは具体的にどうすることなのですか?>
陽子:「(母親)は黙っているので、今回は、私は部屋にいって・・・」
Co:<今回はということは、以前は?>と前と今の差違の明確化を図ります。
陽子:「(前は)『どうして、ブスっとするの!』と聞いていたけど、それをやめた。私は、それでイライラしなくなったし・・・」
Co:<母親が機嫌が悪くなったら、放っておく方がCさんにとっては前よりイライラしなくなってんですね>
陽子:「はい」と瞬間、笑顔になるが、すぐに・・・。
陽子:「でも、私はそれでいいと思うけど・・わがままではないかと、私が冷たいのかと思ってしまう」

そこで、CoはABCモデルを使って、「それでいい」と思う陽子さんをB点(壺の蓋)とし、「でも、わがままでないか、冷たいのではないか」と思う陽子さんをA点(壺)とし、2つの自己を小物で外在化し、AとBの間を揺れる内的世界を俯瞰するポジションを小物のオカリナを使ってC点とし、C点の立場からの感想を陽子さんに求めます。

陽子:「いいけど。自分でいいと確信がもてない。誰かに、それでいいよ言われ、ポンと言われると先に進めるみたいな感じ」
Co:<誰かとは?>
陽子:「友人でもいいみたい」「自分では最後の一歩が進めない」「ポンと押してくれれば怖がることはない」「 私は母のように後悔する方ではないから。 母はしょっちゅう過去のことでぐちぐち言っているけど、私はいや」

自己意識の発達が第3段階のクライエントと異なり、陽子さんの観察主体は、自らABCモデルのC点のポジションを自力で維持できる第4段階レベルにあるとCoは判断し、場面再現法対話法の実施を試みます。

陽子さんには閉眼で、最近、母親に対してとった気になった場面の想起を求めます。

想起された場面:母親は台所で料理の支度をしています。陽子さんは、食卓に座りながら母親の背中に向かって話し掛けます。すると、急に母親がしゃべらなくなり、「ああ、また、いつもの感じ」と内心で思った陽子さんは、席をたって自分の部屋に掃除に行きます。そして部屋の掃除を終わって食卓に戻り、再び料理の関係の話を母親にしかけます。が、まったくそっけない返事が母親から返ってきます。陽子さんは、「まだ気分が悪いのか」と思い、「まあいいや」と思ってTVを見ています。

この場面は「場面再現法」を使って、面接時のテーブル上に、小物などを使って再現されます。場面再現は、面接時の陽子さん自身が、ちょっと前のいつもと同じようなパターンになる外的世界での出来事(フラクタル構造を持っている)を俯瞰できるようにする意味があります。

俯瞰構図ができたところで、「今の陽子さん」を小物の「フクロウ」で、「TVを見ている陽子さん」を、小物の「オカリナ」を使って外在化し、両者の「対話法」を実施します。

Co:<今の陽子(フクロウ)さんが、TVに向かっている自分(オカリナ)に向かって、何か声をかけたり、何かすることができるとしたらどうしますか? ちょっと試みてください>

フクロウ:「また同じことをくり返しちゃったね」
オカリナ:「そうでしょう」
フクロウ:「いつものことよ。気にしなくていいのよ」
オカリナ:「そうね」
フクロウ:無言。
フクロウ:無言。
Co:<やったみて何か気づいたことは>
陽子:「いつも母親との話しが上手くいかないなあと・・」「あまり心の奥の気持ちを出すと、こうなるのかなあって、いくら親子でもわかりあえないことがあるものかなあって」「自分がわかってもらえないことをいやだなと思わない人間になれればなあ」「感じることが少ない自分だったら、もっと楽かな」「感受性がにぶかったら、楽かなって思ってしまう」と陽子さんの語りは、次第に自己否定的になっていきます。

そこで今度は、陽子さんの揺れる内的世界を扱うための「対話法」を試みます。
Co:<ここに、あまり傷つかない人間だったら楽だろうなあと思っている陽子さんがいるとします>と、Coが「壺」をつかって外在化します。<そして、これが今の陽子さんだとします (フクロウ)。さて、この自分(壺)に向かって、今の自分(フクロウ)が、何か声をかけたり、何かすることができるとしたらどうしますか?>

フクロウ:「傷つく時は、重いかも知れないけど、その分感動することも大きいから、あなたなら乗り越えられると思うよ。少しずつできると思うから、感受性が豊かなのは、そのままでいい」
Co:<では、「あまり傷つかない人間だったら楽だろうなあと思っている自分」は、「傷つく時は重いかも知れないけど、その分感動することも大きいから、あなたなら乗り越えられると思うよ。少しずつできると思うから、感受性が豊かなのは、そのままでいい」と言われたら、どんな気持ちになり、どのように反応しますか?>と(壺とフクロウの位置をCが入れ替えます>
壺:「本当は私もそう思うけど、できれば困難なことは身に降りかかってこない方がいいと思うと、乗り越えられるかなあと、すごく不安」

Coは、再び、壺とフクロウの位置を入れ換え、以下、壺とオカリナの対話を続けていけるようにします。
フクロウ:「その気持ちはすごくわかるけど、絶対大丈夫と自分を信じて気持ちを強くもちないさい。自分を大丈夫と信じること」と指示的口調になります。
壺:「今は言われて、すこしの間は大丈夫といえるけど、また問題が起きた時に自分をもっていられるかどうかは不安。だけど、努力できると思う。ぐらぐらとしながらも努力できると思う」
フクロウ:「努力するしかない。今は、それしか言ってあげられない」
壺:「もう十分」とすっきり顔となる陽子さん。
Co:<やってみての感想は? >
陽子:「自分を信じるようになることが大切とわかっていても、どうしたらなれるかわからなかった。それでは駄目といつも言われ続けてきたので・・」「でも、完全に駄目というのを拭うことができない。非常に難しい」と、「フクロウのいうようにはなれない」率直な感想を述べます。

Coは、陽子さんのC点の観察主体は、「自由無礙の俯瞰」ができず、どうしても外我に内在化された否定的批判的なホロニカル主体(理)が布置(自己意識の発達の第4段階)してしまうと見立てます。そこで、面接時の陽子さんのC点が、もっとも無批判・無評価・無解釈の態となりやすい「ただ観察」を試みます。

Co:<では、目をつぶってみてください。今、これまでに、いつも駄目と言われ続けてきたこともあって、どうしても自分を信じることが大切とわかっていても、駄目というのを追い払うことができず、不安がっている自分を感じてみてください>
陽子さんは閉眼し、不安になっている自分を感じ取ろうとします。そして比較的早く、不安になる自分を感じることができます。

陽子:「はい」「暗いところにひとりポツンと立っている。不安で.・・・」
Co:<では、ただ、ずっとその不安のまま暗いところでひとりポツンと立っているま自分を観察し続けてください。何かしようとしたりせずに、ただひたすらそのまま観察し続けてみてください。そして、何か変化があったら、その変化を、言葉でも、イメージでも、仕草・動作でもいいので教えてください >
陽子:「遠くの方に光がある。あっちの方をみると、だんだん明るいのがみえてくる」
Co:<遠くの方に光がある。あっちの方をみると、だんだん明るいのがみえてきたんですね。では、そのまま、ずっと観察し続けみてください。 そして何か変化があったら教えてください>
陽子:「ずっとその方向を見ていると、いつか私にも見えるよといってきます」
Co :<じゃあ、応えてみてください>
陽子:「ずっとみているとぼんやり明るくなってきて、少し近づいてみたくなって、歩いていくと、案外近い距離で明るくなって、もう1人の自分が後ろから見ていてくれて、その明るくなったことを喜んでいる自分が見えます」と笑顔で語る。

開眼後、変容した自分を体得した感じの言動に今度は変化します。第4段階の自己意識の発達段階にあった陽子さんの観察主体となるC点には、批判的なホロニカル主体(理)を内在化した外我が布置し、その外我が内我を批判し、内我は自信をもてずにいました。「対話法」と「ただ観察」を体験する中で、陽子さんの外我は、内我を批判しながら制御・コントロールするのではなく、外我と内我が対話軸を形成し、適切な自己を自己組織化していく中で、陽子さんなりに腑に落ちるオリジナルのホロニカル主体(理)を発見・創造していきました。