ホロニカル心理用語集

ホロニカル心理用語集

ホロニカル心理学は、心的症状や心的問題などの生きづらさを抱える人たちへの心的支援としてホロニカル・アプローチを研究していく中で、これまでの心理学概念のパラダイムから新しいパラダイムへのシフトへの必要性から自然に形成されてきました。
ここでは、ホロニカル心理学やホロニカル・アプローチで用いられる主要概念について説明します。

自己意識の発達

自己意識の発達 (2024.1.24作成,2024.11.20改訂 定森恭司)

<自己意識の発達とは>
 自己は、有(生)と無(死)がせめぎ合いながらも同一に存在するような絶対無(空)という場から創造され、かつ絶対無(空)の場に包まれています。

 ホロニカル心理学では、“こころ”とは、個人内の意識活動を含みかつ超越する絶対無(空)と考えています。絶対無(空)の場では、創造と破壊を司る生命エネルギーであり、多様化・分節化の働きとしての「エス」と、一切合切を全総覧し包摂的に統合する「IT(イット)」の働きが相矛盾しながら同一に働きます。般若心経の色即是空・空即是色の世界が展開している全フィールドが“こころ”と考えています。

 自己は、有(生)と無(死)という矛盾をはらんだ存在として、「エスとIT」の働く創造的世界という場から創造された創造的世界の一要素と考えられます。しかも自己は、同じく創造的世界の一要素として創造された生成生滅を繰り返す万物と、ホロニカル関係(縁起的包摂関係)にあります。自己と世界(一切合切の出来事)がホロニカル関係にあるが故に、自己は世界と不一致となって対立しながらも、世界を自己自身に映し、世界を自己自身に包摂しながら、適切な自己を自己組織化させます。また世界も一切合切を世界自身に映し、一切合切を世界自身に包摂しながら、適切な世界を自己組織させます。

 創造的世界でもある絶対無(空)から生まれた自己と世界(一切合切の出来事)は、ミクロからマクロに至るまでホロニカル関係を形成しながら重々無尽の歴史的創造的世界を創造していると考えられるのです。

 創造的世界の一要素として創造された自己Aは、死してまた新たな創造的世界の一要素になります。こうした自己Aの生死の物語には、宇宙開闢以来の壮大な物語が包摂されながら新たな物語を創造していると考えられるのです。

 自己は、世界に対して閉じた存在ではなく、身体的自己を超え世界に開かれた超個的な存在でもあります。自己は、歴史的に自己組織化されている場所的存在といえるのです。
 場所的自己は、場所的自己が生きる場所の無秩序や秩序などを自己自身に映し、それを包摂しながら、場所的自己自身を発達させながら、やがて一生を終えます。場所的存在としての自己は、場所を共にした人の記憶に残る存在として一生を終え、場所と自己を創成した場そのものに還ると考えられるのです。

<自己意識の発達段階>
 自己意識の発達には、次に示すような段階があるとホロニカル心理学では考えます。

第0段階(ゼロ・ポイント)
 自己と世界の誕生前です。自己と世界が誕生する絶対無(空)の場です。

第1段階(混沌)
 場所的自己と世界の不一致・一致の直接体験における自己と世界の関係が、まだエスの働きが活発なのに対して、自己内のIT(イット)の働きがまだ弱いため、すべてが無境界で混沌した状態ある段階です。混沌段階では、場所的自己が生きる場所とは、いつも共振的共鳴的に一致するとは限りません。その結果、場所的自己と場所が一致する時には、自己にとって生きる場所は「天国」そのものであり、不一致の時には、「地獄」そのものとなります。第1段階では、天国と地獄が絶え間なく繰り返されると考えられます。
 なお、この時の場所的自己(赤ん坊)が生きる場所とは、通常、養育者を含む養育環境を意味し、場所的自己にとっては、場所と融合したものとして体験されています。またこの段階の場所的自己は、その記憶を身体に刻み込みます。この段階の場所的自己の意識は、また個としての意識に目覚める前の前個的意識といえます。

第2段階(融合)
 その後、自己が生きる場所と場所的自己が不一致・一致を繰り返すうちに、場所と場所的自己の不一致のときに、内的世界と外的世界が融合したままの内外融合的主体(我という個の意識の前段階、エスとITの働きが融合する中心)が機能的に結晶化してきます。しかし内外融合的主体は、場所と場所的自己の不一致時の一瞬に創発されても、再び一瞬にして泡のように混沌世界に呑み込まれていきます。
 この時期の内外融合的主体にとっては、ITの働きは、場所はもっぱら重要な養育者を通じて、原初のホロニカル主体(理)として経験されます。原初のホロニカル主体(理)の段階では、場所と場所的自己が一致の時には、場所的自己にとって生きる場所は、「慈悲的な世界」として場所的自己によって体験され、不一致の時は、「苛烈な世界」として体験されます。原初のホロニカル主体(理)は内外融合的主体に内在化されます。
 なお、場所的自己は、その記憶を身体に刻み込みます。この段階の場所的自己意識は、前個的です。

第3段階(幻想)
 その後、内外融合的主体は、場所と場所的自己が不一致・一致を繰り返す中から、場所的自己内に、エスの働きを身体的自己同一性でもって直覚する統合機能をもった原初の内的現実主体(内我)を結晶化させます。この時、原初の内我にとって、場所的自己と一致の快をもたらす対象は、すべて場所的自己が独占しているものという感覚をもたらします。逆に、原初の内我にとって、場所的自己と不一致の不快となるものすべては、原初の内我からは分裂・排除され、非自己化なるものとして外界に映され、幻想的なホロニカル主体(理)を内在化した外的現実主体(内外融合的外我)が形成されます。
 幻想的ホロニカル主体(理)の段階では、場所と場所的自己の一致は、「慈悲の世界」となって場所的自己に体験され、不一致の時は、「支配的な世界」として体験されます。 なお、場所的自己は、その記憶を身体に刻み込みます。この段階の場所的自己は、前個的と個が交錯します。

第4段階(他律)
 その後、内外融合的外我は、場所と場所自己が不一致・一致の繰り返しの中で、場所的自己が所属する社会の既知の理(ホロニカル主体)による物事の識別基準を積極的に取り込みながら、自己(内的世界)と非自己(外的世界)とを識別する認知能力をもった外我に脱統合されながら発達していきます。そうした外我に対して、内我は、エスの生命エネルギーに動かされながら自己と世界の不一致・一致のさまざまな直接体験を統合的に直覚する役割を積極的に担うように発達していきます。
 既知のホロニカル主体(理)の段階では、場所と場所的自己が一致の時には、場所的自己にとって生きる場所は、「慈悲的な世界」として体験され、不一致の時は、「批判的な世界」として体験されます。既知のホロニカル主体(理)は他律的外我に内在化されます。
 なお、場所的自己は、その記憶を身体にも刻み込みます。この段階の場所的自己意識は、個的です。
 この段階の外我と内我の不一致・一致の繰り返しは、次に示すような認知の発達段階とともに、自己意識を段階的に発達させていきます。
①2歳半~3歳にかけて,大小・長短・美醜などの二次元的比較が出来るようになると、内我そのものを観察対象とする他律的外的現実主体(他律的外我)が芽生えだします。すると自己自身を他から識別して実感・自覚するようになり「私」という主語的意識が芽生えてきます。主語的主体的意識の目覚めは,第一反抗期をもたらします。しかし思考の能力は前論理的で直観的であり自己中心的です。
②7~9歳位になると,具体的事物についての論理的操作ができるようになります。それに伴いそれまでの自己中心的世界の脱中心化が進み,ちょっとしたルールや他者の視点から物事を理解することができるようになります。

第5段階(自律)
 その後、場所と場所的自己の不一致・一致の繰り返しの中で、ホロニカル主体(理)を内在化した外我は、内我との対話を通じて、内的世界(自己)と外的世界(世界)の不一致・一致が、より一致する方向に自己及び世界を変えようとしていきます。それは内的対象世界においては、既知のホロニカル主体(理)を内在化する外我と自己と世界の不一致・一致の直接体験を統合的に直覚する内我との葛藤という形で展開します。特に、言語や記号による抽象的な論理の操作能力を獲得する思春期に葛藤は先鋭化しはじめます。そうした認知能力の獲得は、外我自身がこれまで内在化していた既知のホロニカル主体(理)が、内我にとってむしろ生きづらさをもたらす場合もあることに気づくようになるためです。これまで外我によって制御されていた内我が、自己と世界の出あいの不一致・一致の直接体験を自己照合の手がかりとして自己主張しはじめたといえます。すると、次第に他律的外我は,内的現実主体と適切な対話軸をもった自律的外我に時間経過の中でゆっくりと移行していきます。そして自律的外我は、より生きやすさをもたらすような新たなホロニカル主体(理)を自ら創発するようになります。
 創発的ホロニカル主体(理)の段階では、場所と場所的自己が一致の時には、場所的自己にとって生きる場所は、「慈悲的な世界」として体験され、不一致の時は、「悲哀の世界」として体験されます。創発的ホロニカル主体(理)は、自律的外我に内在化されます。なお、場所的自己は、その記憶を身体にも刻み込みます。この段階の場所的自己意識は、個的と超個が交錯します。

第6段階「それ(sore)」
 その後、場所と場所的自己の不一致・一致の繰り返しの中で、場所的自己は、場所的自己そのものを創造した生死の場である絶対無(空)との不一致・一致の中で、場所的自己と場の一致に向かって、より高次な場所的自己を自己組織化していきます。そして、場所的自己の究極に、場所的自己は、創発的ホロニカル主体(理)を脱統合する中で、すべてを全総覧する絶対的主体である「IT(イット)」を発見します。
 この段階の場所的自己の意識は、自己が自己の存在が有限個物であるとともに超個的存在でもあることを意識するようになっていきます。「IT(イット)」の発見は、その後、破壊と創造の生命エネルギーである「エス」との関係が相矛盾しながら同一の関係(絶対矛盾的自己同一)にある「それ(sore)」の働きの実感・自覚を促進していきます。この段階にまで至ると、自己と世界の関係の不一致・一致に関係なく、すべてが、“こころ”の「それ(sore)」によるはからいとして体験されるようになってきます。

<重層的発達>
 原則、発達の各段階は、次の発達段階に統合されていきます。しかし、自己が心的危機に陥ったり、何かの障害が契機となり、前段階に後戻りします。また、“こころ”は多層多次元な顕れを示す存在ですから、ある層やある次元の発達段階と、別の層や別の次元の発達段階が異なって顕れることもあります。
 発達段階を固定的に捉えず、様々な発達段階が重層性と幅をもって同時・併存的に出現してくると、柔軟に考えることが重要です。それぞれの発達段階には、出現率の差異があると大枠で捉えることが望まれます。
 自己と世界の不一致の累積体験によって形成された、“こころ”の多層多次元の特定の層や特定の次元のある問題(心的症状や心的問題等)に対しては、もっとも低次な発達段階に停滞・固着したままの外我と内我をめぐる悪循環パターンを発見することができます。しかも頑固な問題ほど、外我と内我の関係をめぐる低次の発達段階の悪循環パターンを、“こころ”の他の層、他の次元にも発見することができます。逆に、自己と世界の一致の直接体験(ホロニカル体験)時には、外我と内我のもっとも高次レベルの発達段階を確認することができます。

<自己と場(生活環境)との関係>
 発達段階は重層的かつ幅があるため、支援者の態度や場所が異なると、まったく異なる自己の発達段階の外我や内我が出現してきます。被支援者にとっては、支援者やその時の場所が世界を象徴するため、支援者とその時の場所との関係が、被支援者の自己自身に映され、被支援者の自己と世界の不一致・一致を、外我と内我の関係がその場所(たとえ支援の場であろうと)に顕れるからです。
 しかしながら、いずれの段階にあっても、自己意識の発達段階に関係なく、自己と世界の一致の直接体験(ホロニカル体験)は、外我と内我の一致を促進します。したがって、生活の場が安全で安心できるところであるかどうかについては、自己の発達段階がどの段階にあっても自己の最大関心事となっています。
 脳の器質障害や機能障害があると、発達段階の節目の移行でつまずきやすく、場合によっては、次の段階の節目の移行が困難になります。しかし、そのような場合にあっても、生活の場が、一貫性をもち、安全かつ安定しており、信頼がおけるような、“ほどよい環境”の場合には、内的現実主体は、自己と世界の一致のホロニカル体験を累積しやすく、外我との関係も一致しやすくなり、とても豊かで安定した日常生活を送ることができます。

<安全で安心できる場所づくりの大切さ>
 長年にわたる知的障害や重い発達障害や精神障害をもった人たちとの交流を通じて思うことは、人は障害の有無に全く関係なく、いずれの発達段階においても、安全で安心できる場所さえ得られれば、幸せをいつでも体感することができるということです。

※2024.11.20以前と以降では、ホロニカル心理学における「それ」の作用の捉え方が変容していることに留意ください。以前は、「それ」の「IT」の面の論究が中心で、エスは「それ」には含まれていませんでした。その結果、長く「IT(それ)」と表記され、「エス」は別の作用として扱われていました。以降は、「それ」に「IT」と「エス」の相反する作用が同一にあるとの観点に統合されています。

※プロイセン王国の哲学者イマヌエル・カント(1724-1804)は、デカルトの合理論とロックやヒュームの経験論を統合しながら、理性の限界と可能性を明らかにしていく中で、認識の背後に「超越論的主観性」があると提唱しました。カントによれば、私たちの経験は、「超越論的主観性」の枠組みによって経験が統一され、認識が可能になるとしました。しかし、人間の認識能力には限界があり、物自体(Ding an sich)は直接的には認識されないとしました。「超越論的主観性」は、すべての現象を基礎づける形而上学的(超自然的)原理であり,それ自身は世界(自然)を超越しています。こうした考え方は、「人間の認識は対象に従う」という考え方を、「対象が人間の認識の仕方に従う」という考えに逆転を迫ります。そのためカントは、「コペルニクス的転回」を図り、近代科学の科学的認識の限界とともに哲学的基盤を提供したとされています。カントの「超越論的主観性」は、「神」「仏」と同じようにホロニカル心理学の「IT」に相当すると考えられます。
※ゲオルグ・グロデックの「エス」は、「私はエスによって生きられている」と、生命が成立するうえでの根本的なエネルギーのようなものとしました。グロデックは、フロイトのいう「自我」は、エスの表現形式とします。しかし、これに対して、フロイトは「エス」は、あくまで心的装置のひとつしました。フロイトの自我は、近代的自我と言われるものに相当します、ホロニカル心理学的には、我(現実主体)のうち理性的な思惟の中心である外我に相当すると考えられます。そのためフロイトの「エス」は、現実原則に基づく自我によって制御・コントロールされるべき衝動のように扱いました。しかし、「エス」の概念を借用しながら、「エス」に対して否定的意味をもたせたフロイトに対して、グロデックは強い憤りを抱くようになり、二人の間には、決定的な溝が生まれたようです。こうしたフロイトとグロデッククの係争を知る中、その差異と経緯を研究するとき、ホロニカル心理学の「エス」は、グロデックの「エス」に近いことが明らかになっています。

※詳しくは、心理相談室こころ室長 定森恭司著の「ホロニカル・セラピー:内的世界と外的世界を共に扱う総合的アプローチ」(遠見書房、2015)、または、定森恭司・定森露子共著の「ホロニカル・アプローチ:統合的アプローチによる心理・社会的支援」(遠見書房、2019)を参照ください。
 

付表 自己意識の発達段階