ホロニカル心理用語集

ホロニカル心理用語集

ホロニカル心理学は、心的症状や心的問題などの生きづらさを抱える人たちへの心的支援としてホロニカル・アプローチを研究していく中で、これまでの心理学概念のパラダイムから新しいパラダイムへのシフトへの必要性から自然に形成されてきました。
ここでは、ホロニカル心理学やホロニカル・アプローチで用いられる主要概念について説明します。

ホロニカル心理学で用いられる重要概念

1.こころの仕組みを理解する時
に用いられる主な概念
※ホロニカル心理学の心的構造論にあたります。

2.こころのあらわれ方を理解する時
に用いられる主な概念
※ホロニカル心理学の心的現象論にあたります。

3.発達の理解のための概念
※ホロニカル心理学の発達論にあたります。

4.ホロニカル・アプローチで活用される主な概念
※ホロニカル心理学の実戦論にあたります。

5.基礎資料

見立てや方針決定のための基礎資料

ホロニカル・アプローチの見立てや方針決定
のための基礎資料 (2024.1.24,定森恭司)

この資料は、「観察主体の発達」、「自己意識の発達 」と合わせて理解すると、ホロニカル・アプローチ(以下HAと略)の見立てや方針決定の有効な手がかりとなります。

<はじめに>
 「ホロニカル」とは、ホログラフィック・パラダイム (Wilber、 1982) やホロン (Koestler、 1978) といったニューサイエンスの影響を受けて作り出されたオリジナルの用語です。「部分は全体を包摂しようとし、全体も部分を包摂しようとする関係」「部分と全体の縁起的包摂関係 」を意味します。「ホロニカル関係」とも表記します。
 HAでは、自己は場所的存在と考えます。場所的自己は、自己が生きる場所のもつ一切合切の矛盾・対立を自己に映し、自己自身に織り込みます。
 この観点に立脚すれば、ある心的問題について、要素還元主義的な観点から因果論的に記述することは簡単にはできないという立場になります。ある思考、ある姿勢、ある言動、ある仕草などのあらゆる自己におきる出来事は、他の部分や全体から独立して原因として抜き出すことはできず、内的世界から外的世界にわたる多層多次元な問題の一切合切の矛盾・対立が包摂されていると考えます。一見、多層多次元にわたる“こころ”の現象は、どの部分を取り上げても、その部分には全体が包摂され、全体にも部分が包摂されている出来事として捉え直されます。
HAは、「心的苦悩を契機に、より生きやすい生き方を発見・創造するのを促進する支援法」です。 ある心的苦悩を部分とするとき、その部分には、一切合切の矛盾(全体のもつ矛盾)がホロニカル的に包摂されていると捉え直されます。そしてある部分をめぐる観察主体と観察対象の関係自体の変容を図れば、ある苦悩も適切な自己と世界の自己組織化の契機にすることができます。この時に、大切なキーコンセプトが「俯瞰」です。この資料は、「俯瞰」の理解が進むと、HAの見立てと方針決定に役立ちます。

1「自由無礙の俯瞰」
①「俯瞰」
 俯瞰とは「観察主体と観察対象の関係自体を観察する行為」を意味します。
俯瞰とは、観察主体と観察対象の関係が一致するときから、不一致になるときまでを含み観察する行為のことです。
 観察主体と観察対象の関係が一致するときとは、観察主体と観察対象との間の区別が一切なくなることです。両者に区別がなくなるとは、自己と世界の区分の境界がなくなり、無境界になることです。
 自己と世界の関係が無境界になるとは、観察主体(我)が我を忘れて(無我)、すべてがあるがままの全一の体験になることです。ホロニカル心理学では、自己と世界の一致を「ホロニカル体験」と呼びます。「俯瞰」には、観察主体と観察対象の関係が不一致のときばかではなく、観察主体と観察対象の関係が一致したときの「ホロニカル体験」を含みます。
 観察主体と観察対象の関係が不一致になるとは、観察主体が、何かを観察対象として識別し認識することを意味します。観察主体と観察対象の区別なきあるがままの全一の世界から、「空」「犬」「人間」「怒り」とか何か名をもったものを区別し理解したことを意味します。観察主体と観察対象の一致の関係が破れ、観察主体と観察対象の間に境界が生じることです。区別の基準は、観察主体が内在化している識別基準によります。ホロニカル心理学では、識別基準をホロニカル主体(理)と呼びます。
 観察主体と観察対象の関係の不一致・一致とは、自己と世界の関係の不一致・一致を意味します。ホロニカル心理学では、自己は、自己と世界の不一致・一致を繰り返す直接体験を通じて、自己と世界のことを理解していると考えます。
 観察主体と観察対象が一致の関係になったときのホロニカル体験は、観察主体と観察対象に二岐した途端、破れ、ホロニカル主体(理)を内在する観察主体によって、自己と世界は、重々無尽にわたる多層多次元からなる世界に変貌することになります。
 俯瞰とは、観察主体となる我の意識(内我及び外我の意識)が無となって観察主体と観察対象の関係が一となり、自己と世界の出あいが無境界となる時から、観察主体が内在する理(ホロニカル主体)による識別基準によって、観察対象となる自己及び世界を多層多次元なる世界として再構成する行為のことです。
②「自由無礙」
 「自由無礙とは、何ものにも束縛されず融通無礙の境位」にあることです。万物を多層多次元に識別する基準(ホロニカル主体:理)を脱統合して、すべての現象を無批判・無評価・無解釈の態度であるがままに総覧することです。ホロニカル心理学では、ホロニカル主体(理)を脱統合して、すべてをあるがままに総覧するものを「IT(それ)」と呼びます。
 「IT(それ)」の獲得は、対人援助に関わる人には大切になる態度であるが、ホロニカル主体(理)による判断をすべて停止したり・保留する作業は、相応の修行や訓練が必要になり、事例に対するスパービジョンや教育的自己分析が必要になります。
 「IT(それ)」から一切合切の現象をあるがままに総覧するとは、主観的立場(自己の立場)から世界を客観的に見るという意味ではありません。むしろ主観と客観の区別を取り払い、自己の立場から世界を見ることもあれば、逆に世界から自己を見ることもあれば、主観を忘れ主観と客観の区分を越えて自己も世界も一つになることを含む行為を意味します。
 観察主体がミクロに向かって極少の点となれば、観察対象は無限の球となります。その逆に、観察主体がマクロに向かって極大の球になれば、観察対象は無限の点になります。しかし、いずれの場合も観察主体と観察対象の一致の窮極においては同じ現象のことを意味することになります。観察主体と観察対象が一致する時の直接体験の世界が実在する世界ですが、観察主体と観察対象が不一致になったときの世界とは、厳密には、俯瞰する観察主体が直接体験の世界を再構成した世界と考えられます。
③「自由無礙の俯瞰」の深化
 「自由無礙の俯瞰」は、自己意識の発達に伴って、ホロニカル主体(理)の判断を停止したり、保留することが可能になればなるほど深化していきます。そして、最終的には、すべては、「IT(それ)」の働きによって統合され、「IT(それ)=真の自己」が実感・自覚されます。

2 「観察主体と観察対象」
①自己と世界の出あいを「直接体験」と概念化するとき、本来、純粋な直接体験そのものは、自己と世界の間に何ら境界なき主客合一の無境界の体験(ホロニカル体験)です。しかし、自己と世界の出あいに“ゆらぎ”が生じ、両者の関係が不一致となった瞬間に、直接体験は、直接体験を観察しようとするXという主体と、観察される観察対象Yに分断されてしまいます。
②観察主体となるXには、観察主体Xが内在化する出来事の識別基準であるホロニカル主体(理)による差異によってX1・X2・X3・X4・・・が識別されます。
③観察主体となるXの基本的態度には、自己意識の発達段階によって決まってる「苛烈な観察主体」→「支配的な観察主体」→「批判的観察主体」→「悲哀に満ちた観察主体」などの段階が考えられますが、最終段階の6段階では、絶対的主体である「IT(それ)」がすべてを内から外から包み込む態度に統合されます。
④観察主体Xには、個人の立場としての観察主体の意識レベル→家族の立場としての観察主体の意識レベル→ある所属団体の立場としての観察主体の意識レベル→・・・など、より包括的な立場に向かう意識レベルの段階があると考えます。
⑤観察対象Yには、観察主体が内在化する識別基準(ホロニカル主体:理)によって識別された多層多次元にわたるY1・Y2・Y3・Y4・・・があると考えます。
⑥自己と世界の一致の瞬間の「ホロニカル体験」時には、観察主体と観察対象の区別がなくなります。ただし、ホロニカル体験は事後的にしか実感・自覚できません。しかしホロニカル体験の感覚は、身体的自己に実感として記憶されていくため、適切な自己意識の発達の土台となり、自己と世界の不一致・一致の繰り返しの人生の中で、不一致による苦悩を、より一致に向けて、適切な自己の自己組織化する契機となります。
 ホロニカル体験があるからこそ、人生には、自己と世界が不一致を避けられないものの、一致することもあるということを実感・自覚することのできる観察主体を誰でも獲得できる可能性を持つと考えます。
⑦「自由無礙の俯瞰」とは、俯瞰する対象となる「観察主体と観察対象の関係」のあらゆる組み合わせに対して、無批判・無評価・無解釈からの俯瞰が可能になっていることを意味します。また、「自由無礙の俯瞰」は深化していきます。より多くの観察主体と観察対象の組み合わせ差異を統合的に実感・自覚できるようになるにつれて、俯瞰の深度や頻度が深化していきます。
⑧最終段階は、観察主体と観察対象の区別がなくなり、「IT(それ)」になります。「IT(それ)」の段階は、華厳思想の事事無礙の段階に相当すると思われます。

3「適切な観察主体」と「不適切な観察主体」
 A点とB点の行ったり・来たりを俯瞰できる観察主体C点のことを「適切な観察主体」、それに対して、観察主体と観察対象B点や、観察対象となるA点とB点の間の出来事を俯瞰できず観察主体がA点ばかりに執着している観察主体を「不適切な観察主体」と概念化しています。

4 共創的関係の構築
 支援者が、被支援者に生きづらさをもたらしている具体的問題を外在化し、被支援者と共有しながら俯瞰し、両者が共により生きやすい人生の道を共同研究的に協働する関係を構築することを「共創的関係の構築」と呼びます。共創的関係の構築は、安全で安心できる場での共創的俯瞰を可能とし、被支援者の適切な自己と世界の自己組織化を促進することを可能とします。
 共創的関係の構築による共創的俯瞰は、日常生活を離れた診察室、面接日室なかりではなく、多層多次元な問題が錯綜する日常生活の場にあっても可能です。安全で安心できる共創的支援の場を多職種・多機関にわたるソーシャルネットワークを構築するのも場づくり(器づくり)の例です。

5 自己意識の発達と観察主体の発達
①「ほどよい環境」さえ持続的に保障されれば、適切な自己意識の発達に伴って、自ずと観察主体は、「無」の段階から、すべてがホロニカル関係(縁起的包摂関係)にあることを実感・自覚することのできる、自由無礙の俯瞰を可能とした適切な観察主体に変容していきます。
②「ほどよい環境」の保障のためには、大きくわけて2つの条件が考えられます。
 一つ目の条件は、観察主体の発達段階が、第1段階から第5段階にある期間は、被支援者を、「我がこと」のように共感的に俯瞰する適切な観察主体をもった他者の存在が必要になります。二目の条件は、自己と他者を包む生活環境が安全で安心でき、自己と世界はいつでも一致可能であるとの基本的信頼感が獲得できる環境であることが条件になります。