意志をもった創造的な“こころ”

紅葉

心理社会的な歴史的世界は、自己が世界の外から自然界を俯瞰しながら、あたかも客観的に記述するような自然科学の言葉では語り得ません。

心理社会的な歴史的世界は、自己と世界の出あいの直接体験のうちに一瞬・一瞬創造されていく世界であり、自己の主観を離れての語りはあり得ないからです。

したがって、心理社会的な歴史的世界は、普遍的な客観的な語りが不可能なため、語る度に、新たな世界が創造され続けます。心理社会的な歴史的世界は、自然科学の論理のように一般化された法則として記述することはできず、物語的にしか語ることができないのです。

自己と世界の出あいの場は、主観的なるものと客観的なるものが創造される根源的な場所であり、客観的なるものとは、自己の主観的なる意志や判断を除いた時の理性によって一般化された自然界に関する対象論理によって構成された世界であって、それは自己によって形成される心理社会的な歴史的世界とは区別されるのです。心理社会的な歴史的世界では、意志とか判断が関係し、自然のうちにある因果律的な法則とは異なる世界が展開すると考えられるのです。意志は働くところに生命があり、意志の働かないところに因果律の働く物理の世界があると考えられるのです。

ホロニカル心理学では、客観的な対象論理を志向するところに外我が機能的に成立し、直接体験をできるだけ統合的に直覚しようと志向する方向に主観的な内我が機能的に成立すると考えます。両者は共に自己と世界の出あいの直接体験から生起し、かつ相矛盾し対立しながらも同一にあります。しかも自己は両者の相互作用の中で、自己と世界がより一致する方向に適切な自己を自己組織化しようとしたり、自己と世界の一致を求めて世界の変容を迫ると考えます。また自己も歴史的世界によって自己の変容を迫られると考えられます。

瞬間・瞬間の自己と世界のせめぎ合いにおいて、歴史的世界が創造されるところに自己の自由意志が働いていると考えられます。因果律が働くだけの世界では、心理社会的な歴史的世界は創造されないと考えられます。