学問的であるために

ホロニカル心理学では、どんなプロセスを、どんな枠組みから、どのように観察するかの違いによって、見るものと見られるものとの関係自体が大きく影響を受けてしまうと考えています。その結果、観察主体と観察対象の組み合わせの違いによって、その場に立ち顕れてくる現象の捉え方も主観的には、まったく異なる場合もあることを避けられないと考えています。

それだけに、客観性や普遍性を追求する科学では、研究の枠組みや研究のプロセスを厳密に定義し、かつ同じ枠組みやプロセスを経れば、同じ結果が検証されるか、さもなくば反証可能性をもつものとしなくてはなりません。しかしこうしたパラダイムを、そのまま臨床心理学や精神医学など“こころ”を対象にする研究に応用する時には、慎重でなければなりません。

特に、今日400種類以上にものぼると言われている各種心理療法(精神療法を含む)のいずれの技法が、最も効果的かを比較研究する時などには注意が必要です。

例えば、うつ症状に対する各種心理療法のいずれのアプローチが効果的かという比較検討するとします。この時同じ人物に対して異なる心理療法を適用することができません。そこで、あらかじめ定められた診断基準によって大うつエピソードをもつ人たちを対象にして、認知行動療法と精神分析療法のどちらがうつ症状の改善に効果的かという比較検討がよく行われます。ところがすでにこの研究計画には、最初の時点で問題があります。そもそも認知行動療法や精神分析療法が、何を変容の対象としているかに関する姿勢そのものに差異があり、そもそも異なる行為に対して、同列に扱えるのかどうかが問われるからです。

そもそも認知行動療法ならば、不適切な思考や行動に焦点を合わせることになります。しかし精神分析では、大うつエピソードを示す被分析者のパーソナリティーや深層から表層意識にわたる意識を対象とし、精神分析家と被分析者との無意識のやりとりを含む分析的交流の中で、被支援者のパーソナリティーや意識の変容を促進しようとします。そもそも観察主体と観察対象の組み合わせの枠組自体が異なっているのです。異なる行為を比較すること自体に無理があるといえるのです。

認知行動療法と精神分析は異なる枠組みであり、対象とするプロセスも異なり、何より被支援者と支援者の関係性そのものすら異なり、異なる結果を招くのは当然と言えるのです。

ホロニカル心理学では、こうした問題を防ぐために、既存の理論技法を尊重しつつ、観察主体と観察対象の差異と言う観点から、既存の理論や技法を統合的に見直す態度を取ります。異なる対象を異なる方法で異なる枠組みで対応し、多層多次元にわたる“こころ”の顕れに対して、それぞれそれなりに有効な変容が見られる限り、できるだけ統合的に扱うことが可能と考えているのです。

その意味では、基礎理論や原論に欠ける既存の臨床心理学や精神医学は、もっと新しい統合的枠組みにシフトする必要があると考えています。

ホロニカル心理学では、ある認知、ある感情、ある神経・生理学的反応など、たとえひとつの現象を切り取ったところで、そうして人為的に切り取られた部分には、実は“こころ”の多層多次元な全体の問題が複雑に包摂されていると考えます。ある認知、ある感情、ある神経・生理学的反応だけではなく、自己自身の捉え方、家族のあり方、学校や仕事環境など社会との関係、信念・思想・宗教など、ミクロからマクロに至るあらゆることが重々無尽に絡み合っていると考えられるのです。

従って、ある症状やある感情の変容は、他の“層や次元での変容に影響を与えると統合的に捉えます。ある特定の領域だけが、あるいはある特定の層や次元だけが、過度に強調され、あたかも唯一であるがごとく主張することが最も危険と考えているのです。