不一致・一致(4):刹那

ホロニカル心理学が、「自己と世界の不一致・一致直接体験」と表現する時、不一致・一致は刹那の出来事と考えています。刹那とは、過去から未来に向かう時間の流れの一点である瞬間という時の考え方とは異なります。むしろ、刹那、刹那において、多層多次元な世界が同時顕現する時空を創造していると考えているのです。

井筒俊彦が「創造不断:東洋的時間意識の元型」(井筒,1986)と題した論文で取り上げた「時の念々起滅」「存在の念々起滅」と同じ考え方です。井筒は、同論文で、道元の「正法眼蔵」の中の「有時」の考え方や、 イスラム神秘主義のスーフィズムの哲学者であるイブンヌ・ル・アラビーと比較する中で、東洋では、「存在即時間」が成り立っていると指摘しています。

ホロニカル心理学でも、直接体験レベルでは、時は連続しておらず、非連続的な刹那が連続していると捉えます。過去から未来に向かう時間という感覚は、動物や幼児には無く、時計やカレンダーの時の概念を通じて、次第に(外我によって)獲得されていく感覚と考えられます。「不一致・一致の直接体験」とは、主観と客観がまだ未分化で、時計による時の感覚が未だ働いていない段階での出来事です。

刹那において、自己と世界が無境界で「一」なる直接体験が、不一致の直接体験となって多層多次元な世界を創造し、次の点滅的刹那において、同じ「一なる」直接体験が、自己差異化しながら、新しい創造的世界を自発自展的に自己組織化していると考えられるのです。もし自己差異化していないならば、そこには全く変化はなく、そこには創造されるものは何もないはずであり、この宇宙も万物も苦悩もありようがないといえます。自己と世界の出あいの刹那・刹那が、創造不断の一即多の世界を創りだしているのです。

こうした捉え方は、東洋思想に多く見られるものです。西洋では、もっぱら主客は二元的に分断されているため、もっぱら自己と世界の不一致の多層多次元的世界を扱い、自己と世界の一の関係とは、即の論理ではつながっていないと考えられるのです。

従前の心理学は、自己と世界の不一致だけを扱っているとするならば、ホロニカル心理学は、自己と世界の不一致と一致を扱っているといえます。

 

創造不断:井筒俊彦が、西洋の絶対的時空概念に対して、東洋的時間意識として明らかにした概念(井筒俊彦著.コスモスとアンチコスモス.井筒俊彦全集,第9巻.慶應義塾大学出版会.2015.pp106-185)