
適切な自己の発達には、母子関係がもっとも重要という母性神話があります。これまでの発達心理学にも、母子関係のような二者関係から、もっと開かれた自己と他者の三者的関係への移行を促すものは、信頼できる母性的な保護的対象の表象が内在化されて対象恒常性をもつようになり、そうした保護的表象が第三の対象に投影されることによって可能といったトーンがあります。しかし、まずは母子関係が重要という考え方には問題があるのではないかと、心理社会的支援の実践を通じて考えるようになってきました。
母性神話では、二者関係への依存を強めすぎてしまい、むしろ適切な三者関係への移行が妨げられる危険性が高まると思われるからです。二者関係にあった依存対象が、自己以外の三者関係にあたる対象と親密な関係を構築しようとしていると感じた途端、嫉妬深くなったり、強い見捨てられ不安を引き起こしがちになるからです。
二者関係を重視する発達論は、個と個が神という絶対者の下で平等であるというパラダイムがある場合には、まだバランスがとれます。何故なら、絶対者としての父なる神が、母なるものと子なるものとの二者関係を超越するものとして存在し、二者関係が共依存的に融合しすぎることを防ぐための切断の原理となって働いているからです。
ホロニカル心理学では、母子関係のような二者関係を強調する自己発達論は、むしろ西洋のように個の自存自律を強く意識するような原理が働く文化のもとで培われたと考えます。そこで西洋と東洋の統合化を意識するホロニカル心理学では、二者関係も三者関係もむしろ「一即多」のある一部の側面と考えます。母と子の関係も、父と子の関係も、子と両親の関係も、自己と他者の関係も・・・・すべては元々一であるものの多の顕れと考えるのです。
一即多とは、絶対者だけが一で完全なるもので、あとの多は、絶対的な一を構成する一要素と捉えるのではなく、すべての多(個)が、一即多として、一であるとともに多であるといったように絶対的に矛盾するものが同一にあると考えているということです。多のひとつとしてのそれぞれの個には、絶対的なる一が包摂され、絶対的な一は多としての個を包摂するというように、一と多はホロニカル関係(縁起的包摂関係)にあると考えます。
しかし、人は、すぐに一即多であることを忘却します。すると、人は、二者関係、三者関係の不一致ばかりを意識し、せめぎあい、お互いに傷つけあってしまいます。しかしながら、二者関係であろうが、三者関係であろうが、自己と他者の不一致による悲哀に対して、ひたすら一致を求めるような愛欲ではなく、すべては元来一だったものが多となってせめぎ合っていることに目覚める時、不一致の悲哀を受け止めることが少しづつ可能となります。
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