意志とは(4):自己組織化

自己と世界不一致・一致の繰り返しの直接体験に対して、自己が世界との一致を求めて、直接体験を統一しようとするところに自己の意志が生じると考えられます。こうした意志は、意識的な意志のされに根底に働いている根源的な意志であり、この意志に基づいて自己は自己と世界の一致を求めて、自己自身が適切な自己を自己組織化しようとしたり、自己と世界が一致するように世界を変容させようとします。

自己と世界の時々刻々の不一致・一致の出会いの直接体験は、まずはバラバラの経験的現象として顕れ、そうしたバラバラの経験的現象を同じ身体的自己上における直接体験として統一しようとする意志の担い手としての主体が生まれ、そして統一しようとする主体に対して、統一される対象が客観的なる出来事や万物という現象となって対象化されると考えられます。

意志の主体を、どこに見いだすかは考え方によって異なります。一般的には、個我としての「我」に我の意志をみることが多いといえます。しかしこうした個我(現実主体)の意志のもっと根源には、すでに自己と世界の一致を求める超個的意志が働いていると考えられるのです。そうした自己超越的意志が個我の中に含まれているからこそ、自己は世界との一致をごく自然な働きとして持つことが出来ると考えられるのです。また世界、すなわち宇宙も全一的な統一された宇宙として自発自展的に自己組織化していると考えられ、その統一化・統合化の働きに意志が働いていると考えられるのです。

相似的な考えは、西田幾多郎の次のような指摘に見ることができます。
「我がいわゆる意識の中にあるのではなく、意識が我の中にあるのである。いわゆる意識現象とは、何処までも、それ自身に於て全きものではない、その背後はいつでも超意識界に連続している。我の意識が成立し、我の意識界というものを知った時、我は既に我の意識界を超越しているのである。」(1923年)

ホロニカル心理学では、個我の中に含まれていながらも個我を超越して個我を含んですべてを全総覧的統括する働きをもつものを「それ(IT)」と名づけています。また「それ(IT)」の観点から、あらゆる現象を実感・自覚することが客観性をもつということにほかならないと考えています。

※参考文献:西田幾多郎(1923).直接に与えられるもの.in:上田閑照編「西田幾多郎哲学論集1」,1987.岩波文庫.p45