不確定性

クオリアといわれるような主観的感覚そのものを直覚的に理解することと、観察主体が言語を使って何かを識別し、事物を分別的に理解することとは同時に成立しません。前者は観察主体と観察対象が一となる方向であり、後者は観察主体と観察対象が分断されるからです。

しかしながら、この二つの原理は相補的であり、相矛盾する原理が同一にあることによって、自己と世界の現象世界が展開していると考えられます。