心理主義の影

感性の価値を否定的に見下しがちだった近代科学的理性主義の反省とともに登場した「心の時代」にあっては、臨床心理士の登場に象徴されるように対人関係における理想理念として、学校教育現場などを中心に「カウンセリングマインド」の普及がありました。こうした流れは、苦しい気持ちのうちを誰かによって無条件に傾聴され受容されることによって、癒され・救われるという社会的風潮を形成しました。

そして「カウンセリングマインド」の普及によって実際に救われた人が多くいたことも事実でした。

しかしながら“こころ”はとても奥深く厄介な代物であり、自分でも自分の“こころ”を理解することが難しいように、他者の“こころ”を理解することもとても難しい作業です。この難しさを度外視して、「カウンセリングマインド」や「共感」を神話化することによって、「話を聞いてくれない」「話を聞いてくれるだけでちっとも良くならない」と言う不満を抱く人たちが増加していることも「カウンセリングマインド」の影の問題として見逃すことができません。

特筆すべきことは、「カウンセリングマインド」や「共感」を重視する対人援助職の人ほど、他の対人援助職に対して、「話を聞いてくれない」「気持ちを理解してくれない」「サポートしてくれない」「ねぎらってくれない」「批判ばかりする」と対人関係においてとても過敏になっている人たちがとても多いという事実であります。ちょっとした言動の不一致に過敏になりすぎるという職業病のようなものです。

言葉にしきれない内面を理解するために、人を分析したり解釈する習慣に完全にはまり込んでしまって不一致に過敏になってしまっているのです。相手の気持ちを理解することが、そのまま解決になると言う心理主義的楽観主義の限界が明るみになっている出来事と思われます。不安が強いとき、不安を共感してもらえることは安らぎになりますが、もし先の見通しのない不安が経済的な困窮から来ているとするならば、いかにして生活の収入を確保するかに現実的な焦点を絞ることもまた重要なのです。“こころ”の問題は内的世界ばかりでなく外的世界に対しても等しく扱う必要があると思われるのです。わかりあうことが難しいことがわかって、その上で、わかりあう努力を続けることが大切と思われます。

 

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