「創発ポイントが布置した人」と、「場所の乱れを背負った人」

より生きやすい人生の道を発見・創造しようと、直接体験に学ぶときは、直接体験を、そのままあるがままに「ただ観察する」ようにし、直接体験そのものを意図的に変容させようとしてはいけません。しかし、これがなかなかの修行となります。ところが、人によっては、意図も簡単に、やってのけるから人とは実に面白いものです。しかも、そうした生き方の人は、それが当たり前と思っていたいうからこれまた傑作です。

直接体験自体を動かそうとするのを断念し、自己と世界の出あい不一致・一致の直接体験の微細な揺らぎに、ひたすら従い、「今・この瞬間・瞬間」に、あるがままに従っていくと、やがて、場所的自己を映すようになって、場所的自己と場の一致が促進されやくなり、それまでの場閉じていた場所的自己は、場との一致に真の自己に目覚め、場所に対して開かれた自己になっていきます。

しかも、場との一致に目ざめた人は、「場所的こころ」に場所的自己自身が開かれていきます。仮に「場所的こころ」が、統合性を失い、無秩序と部分的秩序が錯綜するカオスの状態にあっても、場との一致に目覚めた人は、場所の乱れを自らの場所的自己に映しながら、もっとも場所的自己と場所の一致と統合化を促進する小さな変化を手がかりにして、自らと「場所的こころ」の一致に向かって生きることによって、逆に「場所的こころ」の乱れの統合化を促進することができます。「場所的こころ」の乱れを場所的自己に映し、場所の乱れを微調整する人のことを、ホロニカル心理学では、「創発ポイントが布置した人」と呼びます。

「創発ポイントが布置した人」は、場所の乱れを場所的自己自身に映すとともに場所的自己に包摂し、かつその乱れをホロニカル心理学で「それ(IT)」と呼ぶ全総覧者による「ただ観察」の働きを得て、場所の乱れを自ら調整し、より生きやすい人生の道を場所と場所的自己の一致に発見・創造することができるのです。

もしこのとき、「創発ポイントが布置した人」の「創発」の瞬間、その場所に共にいた人たちにも同時に「場所の創発的変容に目覚める」ことができます。なぜならば、「その場所の創発ポイントが布置した人」は、その場所の乱れを自らの内的世界の瞬間において自己調整することによって、もともと相互包摂的関係にあった他者の場所的人生の瞬間の変容を同期現象として引き起すからです。

しかしその逆の場合もあります。場所の乱れを、ただ場所的自己にそのまま映しとるだけで、自己調整の仕方が分からず苦痛を感じるだけの人がいるのです。そうした人のことを「場所の乱れを背負った人」と、ホロニカル心理学では呼びます。小さな不一致が幾たび繰り返されたり、場所そのもの矛盾・対立が深くかつ拡大すればするほど、場所的自己は場所が潜在的に抱えているあらゆる対立・矛盾を抱え込み悶え苦しみ無限の暗闇の渦に呑まれしまうことになります。すると場所的自己と場所の不一致の累積は、場所に生きる人の“こころ”の多層多次元に深く影響し、やがて神経・生理学的レベルの悪循環パターンの固定化にまで至ると考えられます。