他律的内的現実主体(2):マダラ現象

他律的内的現実主体」と「マダラ現象」とは、ホロニカル心理学の「自己意識の発達段階」の「第3段階から第4段階の移行期」に見られるようになってきた現象に対する考察から創発された新しい概念です。

「他律的内的現実主体」と「マダラ現象」といった新たな概念の創発の背景には、第4段階の既知のホロニカル主体(理)の形成が、現代社会の価値の多様化・多元化や加速度的な高度情報化社会の到来によって拡散してきたことが深く影響しています。

価値の多様化・多元化と実体験を伴わない膨大な情報の溢れる社会における第4段階の既知のホロニカル主体(理)とは、これまでのような文化を共有するならば、お互いの当たり前の感覚(常識)がある程度共通感覚の基盤を形成できたこれまでの社会とは明らかに異なり、価値の多様化・多元化の不確実性そのものを既知の状態として受け入れることができている状態を意味します。

ところが、第3段階から第4段階への移行期に、外我は、多様化・多元化の既存のホロニカル主体(理)の内から、ある特定のごく限られたホロニカル主体(理)のみを幻想的ホロニカル主体(理)として内在化した内外融合的外的現実主体のままの状態に留まるタイプが増加してきたのです。すると外我は、独我論的になります。またそうした独我論的外我に対して、内我となる内的現実主体は、自己と世界の不一致・一致直接体験を直覚するという統合的担い手にはなり切れず、むしろ外我の方に服従的になってしまいます。

以下、直接体験の直覚が弱く、外我に支配・服従してしまった状態にある内我のことを「他律的内的現実主体」と概念化することにします。他律的内的現実主体(内我)は、豊富な体験を享受できておらず脆弱です。そのため他律的内的現実主体は、自己と世界の不一致に伴う情動・感覚運動などの気分を上手く統合しきれないままになります。それに対して、外我は、内我が統合しきれていない気分を、外我自身が内在化している幻想的ホロニカル主体(理)によって徹底的に知性的に振る舞い、自己と世界の不一致の要因は、all or  noting的に外界の対象に振り向けられます。

それでも自己と世界が一致している限りは、外我は、あたかも既知のホロニカル主体(理)を内在化した第4段階にあるように振る舞うことはできます。しかし、一度、自己と世界が不一致となった折りには、他律的内的現実主体と融合して、激しい憤怒を一見、正当な論理でもって知的に武装しながら、相手に対して攻撃的な批判を執拗に繰り返し続けることになります。自己と世界が不一致の時は、すぐに第3段階に退行するが、自己と世界が一致している限りは、あたかも第4段階にあるがごとく社会に適応的に振る舞うことができるわけです。このように、ある時は第3段階、ある時は第4段階にあるかのように振る舞う自己意識の状態を、「マダラ現象」と概念化することにします。

実は、価値の多様化・多元化の加速度的に進行する現代社会にあっては、マダラ現象を示す人が、急激に増加しています。こうした傾向を示す人の一部には、様々な精神医学的診断を受け、あたかも個人病理の如く語られる場合もありますが、その多くは、歴史・文化的環境の変化が、自己意識の発達に深く影響を与えているという観点から見直すことができます。

マダラ現象にある被支援者に対しては、第4段階において成立する内省・洞察・分析の前提となる観察主体がまだ未成立だけに自己と世界の不一致に伴う憤怒を傾聴しているだけでは、適切な自己の自己組織化は見込めません。そこで、こうしたマダラ現象にある被支援者に対しては、被支援者の内外融合的外的現実主体が内在化しているホロニカル主体(理)以外にも異なるホロニカル主体(理)があることを支援者が、批判することなく、根気よく丁寧に伝えていったり、もっと多様な価値観や観点に触れることのできる体験の場を保証していくことが大切になります。