ホロニカル・アプローチのポイント(解説版バージョン2)

ホロニカル・アプローチの本質は、技法ではなく、思想・哲学にあります。したがって、
ホロニカル・アプローチは、所定の理論や技法を学んだものだけが利用が認められるといった人材養成を目指すものではありません。ホロニカル・アプローチそのものを本格的に学びたいと思う人以外にあっても、ホロニカル・アプローチの思想・哲学を、理論や技法等を通じて学ぶなかで、自らの心理社会的支援に役立つものがあれば、理論の一部であろうが取り入れていただいてもよいと考えています。

ホロニカル・アプローチの思想・哲学は、新しいパラダイムというよりも、むしろ誰もが古くから直観的に感じているものを明示化させたものと思います。その意味では、もともと誰もが“こころ”の根底にもっている感覚の実感化・自覚化という深化の作業から創発されたものといえます。

創発されたホロニカル・アプローチの主要なコンセプトをまとめると次のようになります。

1  部分と全体のすべての関係は、縁起的包摂関係(ホロニカル関係)にある
部分は全体を包摂し、全体は部分を包摂し、部分と全体は縁起的包摂関係にあります。そうした関係をホロニカル関係と概念化します。実は、自己と世界もホロニカル関係にあります。

ミクロからマクロに向かって、部分と全体がホロニカル関係を形成しながら、重々無尽の複雑な世界を自己組織化しています。

しかも部分と全体、全体と部分の関係は、多即一、一即多の関係にあると考えられます。一なるものが、多となってより複雑化し多様化なものを自己組織化しているのです。より複雑化し多様化していく多なるものが、一なるものを自己組織化していると考えられるのです。

部分と全体がホロニカル関係にある時、部分は、部分だけで自律的に全体としても振る舞おうとします。このとき、自律的な全体と振る舞う部分にとっては、部分を超えた全体は外部の世界としようとします。しかし、外部として排除されたものは、部分を全体に取り込もうとします。マクロの全体からすればミクロの部分が内部となり、ミクロの内部からすればマクロが外部となるところに対立・矛盾のせめぎ合いが生じることになります。このせめぎ合いは、ミクロとしての部分は、マクロの全体をミクロに出来るだけ包摂しようとし、マクロの全体はミクロの部分を出来るだけマクロに包摂しようとするのです。こうして、新たなミクロとマクロのホロニカル関係が自発自展的に自己組織化されます。部分としての自己と全体としての世界との関係も同じです。部分としての自己は、全体としての世界を自己内に取り込もうとします。世界からすれば自己が内部となり、自己からすると世界が外部となり、ここの自己と世界の対立・矛盾のせめぎあいが生じることになります。このせめぎ合いは、自己が世界を包摂しようとし、世界が自己を包摂しようとするところに、自己と世界のホロニカル関係が自発自展するのです。

2  観察主体と観察主体の組み合わせを自由無礙に俯瞰する
観察主体と観察対象の不一致・一致の繰り返しは、自己と世界の不一致・一致の非連続的な行ったり・来たりといえます。こうした不一致・一致を、より適切な観察主体から自由無礙に俯瞰できれば、自ずと自己と世界の一致に向かって自己及び世界を自己組織化すると考えられます。

観察主体の意識野を狭めて特定の観察対象に集中したり、逆に観察主体の意識野を広げ、より広い観察対象を俯瞰することが自在にできることです。

私たちがこの世界を生き延びていくためには、固定的な視座ではなく、状況の変化に応じて、いかに自由無礙の俯瞰といった柔軟性を獲得するかにかかっているといえます。

俯瞰というと、一般的には鳥瞰図的俯瞰をイメージする場合が多いのですが、自由無礙の俯瞰とは、極小のミクロの無限の点の視座から、極大のマクロの無限の球まで含む視座から自由無礙に対象を観察することを指します。極小のミクロの無限の点と極大のマクロの無限の球とは、観察主体が観察対象と合一して無となることを意味します。

自由無礙の俯瞰は、自己と世界の世界のホロニカル関係の実感と自覚を深め、自己の自発自展的な自己組織化をもたらします。

3 内的世界と外的世界を共に扱う
観察主体は、観察対象に対して、内的世界と外的世界の2つの志向性をもっています。したがって、観察主体と観察対象の関係に焦点化するときには、内的世界と外的世界の狭間に揺れる自己自身を、観察主体と観察対象の関係を、より適切観察できるようにとなるように支援することが大切になります。

内的世界の変容は、外的世界の変容に影響します。外的世界の変容は、内的世界に変容をもたらします。したがって、心理社会的支援では、内的世界と共に積極的に外的世界を扱う姿勢が求められます。観察主体と観察対象の関係でいえば、内的対象関係と外的対象関係の両方を扱うとともに、両者の関係そのものを扱うことが大切になると考えられるのです。

4 今・この一瞬がすべて
創造された世界は過去であり、過去はすでに無になった世界といえます。創造されていく世界は未来であり、やはり未来も未だ来たらずの無の世界といえます。しかも「今・この瞬間・瞬間」の「出来事」に、過去も未来の全てが含まれています。一瞬・一瞬の出来事に、一切合切が収斂しているのです。一切合切が、一瞬・一瞬において、混沌化と統合化が相矛盾しながら同一に働くところに、さまざまな出来事の生成消滅が起きていると考えられるのです。

また、一瞬・一瞬、自己は世界を自己に包摂しようとし、世界もまた自己を世界に包摂しようとします。自己は世界とのホロニカル的関係を構築しようと、それぞれが自己組織化を自発自展させつつも、自己と世界の間には、激しいせめぎ合いが起きることを避けられないのです。このせめぎ合いが、自己にとっては、重々無尽の現象世界となります。自己と世界の関係が、永遠に一致すれば、自己にとっては、もはや自己も世界もなき、すべてが「絶対無(空)」となります。

自己と世界の一切合切が矛盾なくホロニカル的に収斂した瞬間、自己と世界は一致しますが、自己が生きている限り、まさにその瞬間、自己と世界の不一致によって、再び多層多次元にわたって、自己にとっては、自己と世界のせめぎ合いの世界が自発自展することになります。生きる自己は、一生、こうした自己と世界の不一致・一致の自己組織化を促進しながら、自己が世界に完全に包摂されるまで生き続けるといえます。

被支援者と支援者にとって大切なことは、一瞬・一瞬の不一致と一致にあって、不一致をあるがままに受容しつつも、一致を根気よく求め合いながら、ホロニカル関係を形成しあっていくことが大切になります。すると支援の場において、一切合切のすべてが、ホロニカル関係の組織化に向けて、自ずと、一瞬・一瞬に新たな秩序に向かって動き出してくるときが訪れます。一瞬が、すべての矛盾を包摂しているからこそ、一瞬・一瞬の小さな意味の変化が、新たな創造を可能とするのです。

生成消滅する無限のミクロから無限のマクロまでの全てを含む今この瞬間・瞬間による非連続的連続の繰り返しの中で、すべてが不一致・一致を繰り返しているのです。しかもすべてが不一致になりながらも、一致を取り戻そうと振る舞うところにホロニカル関係が自己組織化されてくるのです。

5 苦悩(自己と世界の不一致)は創造(自己と世界の一致の創造)の契機となる
自己にとって自分の思うようにならぬ世界が苦悩となります。その意味では、自己の死が避けることが出来ぬように、自己にとって世界は常に非情なものでもあります。自分の思うようにならぬ世界とは、自己と世界の不一致の状態といえます。自己と世界の不一致の累積が苦悩をもたらすため、ある苦悩には、過去・現在・未来を含む多因多果な要因が複雑に絡み合っています。しかし、逆に考えれば、複雑な要因は多層多次元にわたって絡み合っているだけに、どの局面におけるいかなる小さなな変容であっても、他の多の多層多次元にわたる変容に縁起的に影響すると考えらることができます。

外在化(可視化)された問題を共同研究的に協働しながら具体的対策を模索する
被支援者に生きづらさをもたらしている出来事(困っている気持ちを含み)に焦点化し、その出来事を具体的に可視化または外在化し、被支援者と支援者が共同研究的に協働しながらより生きやすい人生の道を共創することが大切です。共創とは、多層多次元に渡り、当事者を中心に支援者がパターナリズムに陥ることなく、被支援者と支援者が共に、さまざまな観点から自由闊達に意見を語ることができ、一つの結論を無理に引き出すことなく、その都度、当事者が自己決定する際の選択肢や観点の幅が広がるものになる場を構築することです。こうした適切な共創の場の働きが、生死の場に生きる当事者及び支援者にも内在化され、被支援者と支援者が共に変容していくことが大切になります。

7 自己は、場所のもつ一切合切の矛盾を自己自身に映し内在化する場所的存在である
自己は、常に場所的存在です。自己は、場所の持つ一切合切の矛盾を自己に映し、多層多次元にわたる矛盾を自己自身の内に取り込む場所的存在といえます。一切合切の矛盾を抱え込んだ場所的自己が、適切な自己を自己組織化するためには、場所的自己が生きる場所が、適切な場所となるように心がけなければなりません。

抱える矛盾も、より身体的、より物質的な方向には、より一般的な矛盾が考えられ、より精神的な方向には、より個別な矛盾が考えられます。

多層多次元に悪影響を与える苦悩を、自己が所属する社会集団のいかなる言説によって捉えるかが、苦悩を抱える人の生き方に直接的間接的に影響を与えます。例えば、気分や感情が乱高下する人に対して、双極性気分障害と診断し投薬治療をする必要があると考えるのか、悪い霊の憑依と考えて除霊が必要と考えるのか、ある重大な選択に戸惑っている結果と捉えるかでは、苦悩の捉え方をめぐる根本的なパラダイムの違いがあり、その対応法もまったく異なってきます。

8 適切なを得れば、自己意識は、適切な自己と世界を自己組織化する
自己は適切な場さえ得られれば、観察主体と観察対象をめぐって適切な自己意識を発達させることができます。適切な自己意識の発達は、適切な自己及び世界を自己組織化することができます。

以上のことから、次の一文が結実します。
「一瞬・一瞬の不一致(苦悩)・一致(ホロニカル体験)の直接体験を、小さな意味のある出来事として、自由無礙に俯瞰さえできれば、自己は、適切な自己と世界を創発することができる」