不一致・一致(7):迷いと無心

華厳教

自己と世界不一致になる瞬間とは、自己と世界の一致による無境界に亀裂が起きて、自己と世界が対立関係になり、世界内存在としての自己が迷いながら生きることといえます。そして、自己と世界の対立関係は、“こころ”の乱れとなります。

反対に、自己と世界が一致する瞬間とは、自己と世界の間の区別が消失し無境界となり、自己が世界内存在として無心に生きることといえます。

結局私たちは、自己と世界の出あいの不一致と一致の繰り返しの直接体験のまっただ中で生きているわけです。

「華厳教」の「夜真天宮菩薩説偈品」 (やまてんぐう ぼさつせつげぼん)に、「心仏及衆生、是三無差別」しんぶつぎゅうしゅじょう ぜさんむしやべつ)という偈文があります。「心」と悟りを開いた「仏」と煩悩を抱えている「衆生」とは、本来、皆同じものだというわけです。こうした心の捉え方は、西欧の心の捉え方より、ずっと広いといえますが、ホロニカル心理学の“こころ”も、禅の公案にあるような、「即心即仏」としての捉え方といえます。自己と世界の不一致に迷うと同時に、自己と世界の一致に無心となるような不一致・一致に生きているといえるのです。このことを実感・自覚していくと、東洋思想が探究してきた心持ちになっていきます。