共感幻想

共感は、するものでもなければ、求めるものでもない」と考えられます。そのような態度では、かえって共感はできず、あるいは共感を得られず、絶望に苛まれてしまいます。

苦悩や絶望の中で、世界(他者)と一致することばかりに執着していた人が、一旦、我の意識を失った途端、絶望を共にする人との間(所)から創発されるのが共感です。地獄を共に見るもの同士が、絶望という限界に共に我を忘れる瞬間、我の意識を超えたところにいつも命を育む天国(絶対無)に包まれていたことに覚醒することが真の共感です。生死を共にする者同士が、共時的に共振・共鳴する現象が共感といえます。我の意識が、必死に共感を求めたり、共感をしてあげようとしてもできない時、一切合切は、すでに一として場所に包まれて生きていることに目覚めあうことが共感といえるのです。共感とは、我の意識によらない、無為の作業として、自ずと創発されてくる現象といえるのです。

心理学を、我の意識からはじめ、かつ我が、自己と他者が共感することを理想とするところから始めることは、ある意味で、とても危険なことと考えられます。むしろ生きた心理学は、自己と世界の不一致の絶望と、自己と世界の一致の天国を共に等しく扱うことから始めなければならないと考えられるのです。