“こころ”とは(17):山川草木にも“こころ”あり

極限のミクロと考えられる量子(部分)から、極限のマクロと考えられる宇宙(全体)に至るまで、あらゆるミクロ(部分)とあらゆるマクロ(全体)は、相互に縁起的包摂関係(ホロニカル関係)を形成しながら、それぞれ部分や全体としての振る舞いや性質を刻々決定していっていると考えられます。

したがって、ミクロとマクロの相互作用の出来事からなる複雑な脳も、脳だけで単独で存在することはできず、脳としての振る舞いも性質も脳だけで決定していることはありえません。脳が“こころ”を作り出しているという考え方がありますが、脳は、ミクロからマクロに至るあらゆる現象との関係で、脳として刻々振る舞い、他にも影響を与えている活動と考えられるのであって、脳が“こころ”を作り出しているとは考えられません。

脳によって作られる“こころ”とは、個人の精神活動のみに“こころ”を見るパラダイムの影響と考えられます。そうしたパラダイムは、人間中心、意識中心主義的、高次な精神活動だけに“こころ”の働きを限定してしまう思想が根底にあるためと考えられます。

その点、大和言葉としての“こころ”は、山川草木にも“こころ”の働きをみてきたといえます。