「世界そのもの」になる

自己や世界は、自己によって常に再構成され続けていると考えられます。
自己は、自己と世界の出あいの直接体験を、内我が直覚するとともに、外我が識別分別します。そして内我と外我が絡み合って直接体験を、再度、再構成していると考えられるのです。自己や世界の通常のイメージは、直接体験そのものではなく、常に再構成され続けられていると考えられるのです。

自己が直接体験を自己観察の対象として、何をどのように観察し、何を識別し、どのように再構成するかにあたっては、自己自身(主に外我)が内在化している理(ホロニカル主体)の影響を受けます。そのためホロニカル主体の基準が異なれば、異なる分だけ、異なる世界を創り出しています。

また直接体験を、自己自身(主の内我)が直覚しようとする時、自己の気分や身体感覚が影響し、気分や感覚が異なる分だけ、異なる世界を創り出すことになります。

直接体験は、外我と内我の作用が複雑に絡み合って、自己特有の自己や世界のイメージに常に創り変えられていると考えられるのです。

もし直接体験そのものを体感したいと願うならば、外我による識別や判断を一切やめ、まずは外我が内我と一体化し、一体化したそのもの働きを極力無とし、自己と世界の出あいの直接体験そのものを体感する必要があります。

しかしながら、直接体験のあるがままの体感は案外難しく、修行でも積まないとなかなかできません。通常意識では、すぐに外我が働いたり、過去の経験を刻み込んでいる内我がすぐに作用してしまうからです。

しかしこの作業をもっとも速効的に行うための方法がひとつあります。その方法は、「世界そのものになる」のです。「世界そのものになる」とは、「その時の世界となって物を見る」「その時の世界となって音を聞く」「その時の世界となって触れる」「その時の世界となって味わう」「その時の世界となって感じる」という方法です。微動だにしない石の上の亀のようになるのです。この方法が案外、もっとも、「あるがまま」となる近道に思われます。「世界が私を通して世界を見て感じとっている」態度をとることによって、「あるがまま」に近づいていくのです。ある時からこつ然と、世界の方から、すべての情報が全体的かつ統合的に飛び込んでくる瞬間が訪れます。ホロニカル心理学で、ホロニカル体験と呼んでいる「あるがまま」の瞬間です。