心理社会的支援におけるエビデンス(5)

多層多次元にわたる“こころ”の症状や問題に関して、医療機関を紹介すれば何とかしてくれると思うのは間違いです。同じように、福祉機関を紹介すれば何とかしてくれると思うのも間違いです。同じように教育機関や相談機関を紹介すれば何とかしてくれると思うのも間違いです。また紹介された側も自分のところだけで何とかしようとするのも間違いです。

要は、ある支援行為が他の多層多次元の他の位相にいかなる影響を与えるかといった複雑な絡みを、統合的視点と自らの支援の限界認識から意識できることが、よき支援の肝となるのです。

「支援の場所の違いは、自ずと扱っている次元や層が違う」という現実を、“こころ”の症状や問題に携わる支援者は念頭においておくことが重要です。

そもそも心理社会的支援における効果に関するエビデンスは、主観的なものや文化的歴史的な価値尺度を排除できません。そのため効果の有無は、支援者自身が効果があったと論じるだけではなく、被支援者自身、あるいは被支援者のことをよく知る家族や周辺の人による評価も含むべきと考えられます。

ここに“こころ”の変容に関するエビンデス議論をめぐるやっかいな問題が横たわっています。エビデンスは、変化を主張するものが独我論的にならないことが大切です。そのため変化の評価基準も独我論的にならないように、評価尺度を統計学的に厳密に定め、かつ支援者ごとによるバラツキを極力防ぐために支援プログラムのアルゴリズムの標準化や支援体制の構造化が可能な場所における効果測定に議論が限られがちになるのです。しかし、ここに場所が異なれば、“こころ”の症状や問題の出方は変化し、構造化された非日常的な支援の場所で確実な効果が見られても、日常生活に戻るとその効果も喧噪の渦の中でもみ消されてしまうというやっかいな問題が横たわっているのです。多層多次元にわたる複雑な問題が絡み合っている“こころ”の症状や問題においては、いかなる心理社会的支援が、複雑な問題が錯綜する日常生活の場においても持続的な効果を示すのかを明らかにしていく必要があるのです。

こうした現実を考慮するとき、心理社会的支援におけるエビデンスは、支援者による評価パラダイムから、被支援者自身による自己評価、被支援者を身近で知る人の評価と支援者との不一致・一致を含むパラダイムへの転換が必要になると考えられるのです。

しかし多層多次元にわたる位相のすべてにおいて、その変容の有無を明らかにすることは困難です。しかも身体医学のように治療効果を客観化することが比較的可能な場合のエビデンス議論と異なり、心理社会的支援の効果測定は、主観的尺度の関係者の一致度に賴らざるを得ません。被支援者自身、支援者、被支援者を知る周囲の人などによる評価の一致度合い(信頼性)が重要になるのです。したがって、どんな尺度が効果測定に妥当なのかを明らかにする必要があります。

こうした妥当性尺度に関しては、ホロニカル心理学では、次のような仮説をもっています。その尺度は、被支援者自身の問題解決に対する主体感の変容と、関係者との被支援者の主体感の変容に関する主観的評価の一致度です。「○○さんは、以前に比べて、自らいろいろな人に相談しながら自分の問題や周囲の問題に対して主体感をもって取り組むようになったね」と言われ、被支援者自身も、前に比して人生の主人公としての主体感を実感・自覚できるようになったかどうかという「問題解決に対する主体感」という主観的尺度の不一致・一致度が、もっとも有力な尺度ではないかという仮説をもっています。