公私

「公」「私」の関係を二元論的に「関係がない」と区別する考え方には違和感があります。

そもそもあまり政治や社会と関係がないと思っている人の「私」の生き方にすら、社会の価値観や世界観が根深く影響を与え、「私」の生き方を規定しています。

自己意識の発達が第4段階までの自己は、外我が社会的歴史的に形成されている既知の社会の価値観や世界観自体を内在化しています。しかも第4段階までは、基本的に、「私」と「公」の関係は、外我と内我の関係に変換され自己を内的に規定していきます。現代日本のように社会や政治に関心のない人が多い社会は、そうした政治的状況が有利となる社会構造を政治的常識とする政治的自己を知らずのうちに構造化しているわけです。

しかし内我は、いつまでも外我によって規定される受動的な主体ではありません。内我は、自己と世界との不一致・一致の非連続的な繰り返しの直接体験を統合する能動的主体でもあります。このとき、前者を受動的内我とし、後者を能動的内我とすれば、受動的内我と能動的内我の関係が不一致となれば、自己違和的な自己矛盾が内我内に生じることになるわけです。不一致のとき受動的内我と能動的内我の力動的関係には、さまざまなパターンが考えられます。

ホロニカル心理学では、受動的内我より能動的内我が優勢になり、かつ内我と外我との内的対話が可能になれば、既知のホロニカル主体(理)を内在化した他律的外的現実主体は、自己と世界がより一致することを可能とする新たなホロニカル主体(理)を創発する自律的外的現実主体に自ずと移行していくと考えています。このことは、自ずと政治的自己の構造的変容をもたらします。社会的歴史的政治的自己としての主体感の覚醒です。

すると、より生きやすい私の探究の理は、誰もが生きやすい公の理の探究となり、誰もが生きやすい公の理は、ひとりの人がより生きやすい理の探究となりだします。

覚醒するかしないかの差異はありますが、誰もが既に社会的歴史的政治的存在といえるのです。

したがって適切な心理社会的支援とは、誰でもが潜在的にもっている自己と世界の不一致を一致に向けて全てを自己組織化していこうとする“こころ”の働きをサポートする行為となり、そうした行為は、自ずと信念・哲学・宗教・倫理・芸術・社会・歴史・政治と不可分なものとなります。

“こころ”は、苦悩の源ですが、すべての創造の源でもあるのです。