真の自己(9):自己を離れて自己はなし

自己を含むすべての存在は経験する主体を離れてあるのではなく、経験の内に含まれてあります。

自己による経験の実感と自覚のうちに、すべての出来事があります。そのため自己を離れて、物や出来事があるとは、簡単には論証できません。自己と世界を切り離し、物が自己を離れてあるように理解するのは、あくまで自己が観察主体となって、対象論理的に世界を知的に理解する限りです。そう理解する限り、万物があたかも自己を離れた存在があるように理解されるのです。したがって、観察主体と観察対象が切断される直前の主客合一の直接体験そのものにあっては、実在する世界はすべて直接経験の内にあります。しかし直接体験そのものは、自己にとって実感されるだけでは深い意味を持ちません。直接体験は、無限に自己自身に実感され自覚されてはじめて自己意識にとって深い意味を持つようになります。

またすべての根底となる「自己による自己自身の存在の自覚」は次のように考えられます。自己を自己1とし、自己1を自覚する自己を自己2とすると、次のような論理が働いていることが明らかになります。自己1と自己2は、単なる同語反復ではなく、同一性と差異性という相矛盾する両面性を抱えながら一つになっているという絶対矛盾の論理です。こうした矛盾の論理が働くからこそ、同一性を持った自己の自己自身による内省と直観による自己環流的な自己環帰が自発自展し、「より深く理解する」ことが可能になります。そして自己1と自己2の差異を統一するところに、より一般的な真の自己の働きを発見することができます。

このことはホロニカル心理学の用語に置き換えると次のようになります。「自己と世界の出あい不一致・一致の出来事のすべてが自己のフィールドである直接体験に写され、直接体験が自己(外我)によって内省され、かつ自己(内我)によって直観されながら、外我と内我の不一致・一致の繰り返しの中で、実在する自己と世界の関係の統一的な実感と自覚を深めていくなかで、自己は真の自己に覚醒していく」となります。

我(現実主体)が実感・自覚するのではなく、自己の自己自身の直接体験の実感・自覚のうちに新たな自己と世界が創造されてくるのです。私たちは、つい、「何かが、ある」と判断し、あたかも「ある」ものと別に私が存在しているかのように思いがちですが、そうした論理は、あらかじめ自己が世界とは別に存在するというパラダイム(ホロニカル主体:理)による判断によるといえます。

そして自己と世界の関係の実感・自覚の深化が、自己と世界の新たな自発自展そのものを生み出し、自己自身を含む自己意識の発達が真の自己に向かっていく原動力になると考えられるのです。