「こころ」と「絶対無」と「空」との関係について

「こころ」と「絶対無」や「空」との関係について、仏教や東洋哲学では深く考えられてきました。

仏教の立場からすれば、「こころ」と「絶対無」は密接に関連しています。仏教では、全ての存在が根源的に「空」であるとされます。そして、「空」は個別的な存在ではなく、あらゆるものの本質的な性質であるとされます。

仏教においては、「こころ」もまた、個別的な存在ではなく、空の本質的な性質を持つと考えられているわけです。

東洋哲学の立場からも、「こころ」と「空」は、本質的に同じものであると考えられています。東洋哲学において「空」とは具体的なものが存在せず、無限大であるとされます。そして、「こころ」もまた形のない、無限のものであるとされてきました。

仏教では、「こころ」は本来清浄であり、清浄なこころを取り戻すためには、「絶対無」「空」への気づきが重要な役割を果たします。絶対無は、全てのものが本質的には空であり、実体を持たないことを示します。そして、「絶対無」「空」を理解することで、私たちは執着や偏見から解放され、真実を見つけることができるとされています。

ホロニカル心理学の立場も、自己と世界の出あい一致して無境界となるとき、「こころ」がその本質において「絶対無」「空」と実感・自覚される瞬間、苦悩から解放され、自己と世界の出あいが不一致になった途端苦悩は避けられないと考えています。