対象認識の世界

対象世界として認識される世界には、重要な要素である人が抜けています。対象世界を認識している人の存在が対象世界から抜け落ちているのです。

私たちが経験している実在する世界には、自己というものがその世界に入っていなければなりません。しかも真に実在する客観的世界は、世界を外から観察するのではなく、自己が物事を認識すること自体を忘れ、「身心脱落」(道元)して、「物となって考え、物となって行う」(西田幾多郎)ことでなければなりません。