他力と自力

道元の自力と親鸞の他力は、一見、相矛盾しているように受け取られます。道元は、自らの努力によって悟りを得ることができると主張し、親鸞は、自らの力では悟りを得ることができず、仏の力に頼らなければならないと主張します。しかし、本質的には、両者は同じことを言っているのではないかと思います。

道元は、自らの努力によって悟りを得ることができると主張していますが、それは、自らの力だけで悟りを得ることができるという意味ではありません。自らの努力によって悟りを得ることができるのは、仏の力によって支えられているからです。親鸞も、自らの力では悟りを得ることができず、仏の力に頼らなければならないと主張していますが、それは、自らの力で悟りを得ようと努力する必要はないという意味ではありません。自らの力で悟りを得ようと努力することは、仏の力に頼るための準備であると考えているからです。

つまり、道元の自力と親鸞の他力は、一見、相矛盾しているように受け取られますが、本質的には、同じことを言っているのではないかと思います。どちらも、仏の力に頼ることの重要性を説いているからです。

ここで仏の力を、“こころ”の働きと読み換えると、ホロニカル心理学になります。