真の自己を見る(西田幾多郎)

西田幾多郎(1965)の次の指摘に、ホロニカル心理学は注目します。
「私はいつも云ふ如く自覚といふのは自己に於て自己を見ると考へられ、而も自己が見られない所に即ち自己が無となった所に真の自己を見ると考へられるのである。 対象的に見られるかぎり、それは自己でない、極限として見られると云つても、それは既に真の自己ではない。 自己に於て自己を見るといふのは何処までも対象的なるものを包むといふことを意味するのである、場所が無となって行くといふことを意味するのである。 極限といふものが見られるかぎりそれが純なる作用といふ如きものであつても、既にその場所が限定せられると云ふことができる、何処までも包むと云はれない、場所が真の無となるとは云はれない。」

西田幾多郎全集(1965年)、第6巻,岩波書店.p86.