
禅で重視される「無心」「無我」を含む「心」の捉え方は、ホロニカル心理学でも重視します。
ホロニカル心理学の捉える“こころ”は、「無我」「無心」を含みます。その結果、意識化されていない意識を無意識とし、無意識の意識化を重視する心理学と、「無心」「無我」の状態にも注目する心理学では、「無」の捉え方が根本的に違ってきます。
無意識の意識化を重視する人にとっては、「無」は、我の意識を失うことになり、得体の知れない闇の世界に呑み込まれることに不安や恐怖を抱きやすくなります。しかし、「無」を「絶対無」「空」と自覚する人は,自らがそこに還る場所と理解し、不安や恐怖を受け入れやすくなります。
西洋から日本に入ってきた心理学は、表層意識としての意識から深層意識としての無意識を扱いますが、意識の中心としての「我」の意識を重視する傾向にあります。そこで、ホロニカル心理学では、西洋の「我」を重視する心理学に学びながらも、東洋思想の「無」の自覚も重視してきています。
ホロニカル心理学では、自己と世界の出あいが不一致となった際の観察主体と観察対象に二分化するときの現象に強い関心を向けてきたのが西洋の心理学と考えています。西洋の心理学は、あくまで観察主体となる「我」の意識を重視しながら展開してきたといえます。これに対して、東洋は観察主体と観察対象の関係が一致したときの現象に強い関心を向けてきたと考えています。東洋では、「無我」「無心」に、無限の可能性を秘めた究極の実在を発見しようとしてきたと思われるのです。
ホロニカル心理学では、観察主体と観察対象の関係が不一致するときの現象も、観察主体と観察対象の関係が一致になる時の現象を含んで心理学を構築すること試みています。