
心理・社会的支援の場において、相談動機が希薄であったり、支援に対して抵抗や拒否を示す当事者に対しては、指導・助言、カウンセリング、治療など、どんな形であれ、継続的な関係を維持することが重要です。そして、その関係を維持できている支援者を周囲がバックアップする体制を整えなければなりません。継続する力を持たない人々が一方的に評価し、意見を述べるだけでは、支援の場は消耗戦と化し、適切な対応とは言えません。まず支援を実践している人、その意思を持つ人を支える仕組みがなければ、多層的な支援やネットワーク会議はまったく機能しないと言えます。
修羅場における対応訓練も必要です。知識があっても実行できるわけではなく、「わかる」こと以上に「関係を構築できる能力」が求められます。そのためには、支援者自身が体験的に学び、実践を通じて能力を高める必要があるのです。対人援助の現場では、評論家や批評家は必要ないと言えるのです。
また、対人援助職が受ける現代社会におけるトラウマやストレスについて、職場の上司、同僚は深い理解を持つべきです。支援の場で適切に対応するためには、仲間同士が互いに支え合う環境が不可欠であり、誰かの問題を個人の資質のせいにする職場環境は虐待にも等しいと言えます。支援者自身もまた、支援を受けるべき存在と言えるのです。支援者を責め立てている対人援助の職場は、もっとも対人援助能力を持っていないことを明らかにしていると言えるのです。
支援の現場では、知的理解を超え、体験的な感覚として「安全・安心」を支援者自身も感じ取ることが重要となります。支援者が職場で安心感を得られなければ、当然のことながら被支援者への適切な支援はより難しくなると言えます。
福祉とは「戦いを収める力」を養う訓練を必要とします。勝つことや相手を打ち負かすことではなく、怒りや憤怒に勝ち、人生を主体的に生きる力を育む力です。それは、まるで消防隊が火災を鎮めるような行為に近く、消火の後の再建にも伴走していくような行為と言えます。支援者は、単なる「緊急支援」として対応するのではなく、継続的な関係性を築く姿勢が求められているのです。
支援の現場において重要なのは、どのようにアセスメントを行うかよりも、支援者が当事者とどのように関わるかです。すべては「支援者の振る舞い」にかかっており、それを研修の主要ポイントとしなければ意味を持ちません。正しい道徳を説くことではなく、実際によい変化を生み出すことが重要なのです。
現在、対人援助に関わる人はかなりの数にのぼりました。しかし困難を抱えた人に対して、継続的支援を構築する前に、形式的な助言指導だけで対応が終わってしまうことが、かつてより圧倒的に増えているのが実態です。このような事務的な先輩の対応に疑問を持つ若手支援者も多く、「一度の助言で問題がそう簡単に解決することはないのでは?」という疑問を持つのが常識的な感覚と言えます。
例えば、あるケースでは、不登校の子どもが母方祖母のもとへ母親の過干渉を避けて避難しています。祖母は相談機関に助けを求めますが、母親に対しては、「この相談のことを秘密にしてほしい」と切望します。すると相談機関は、「それではなかなかうまくいかないので、一度、よく母親と話し合ってください」と祖母を1回の助言指導で支援を終了してしまいました。しかし、ここで重要な見落としがあります。一見、もっともらしい助言ですが、祖母と母親の関係がうまくいっていないから困って相談に来たことがまったく見落とされています。話し合うことがうまくできていないのです。この時、必要だったのは、祖母との継続的な相談関係を築き、祖母が母親や子どもとどのように関わっていくのがベストなのかを一緒に悩み、一緒に模索する伴走型の支援だったのは明らかです。単発の助言指導で終わるのではなく、まずは継続的な相談の枠組みを作ることこそに支援者は専念すべきだったと言えるのです。
「困ったら相談してください」ではなく、「すでに困っているからこそ、継続的に支援する必要がある」という認識が必要となるのです。もちろん、すべてのケースが継続できるわけではありませんが、そもそも支援者が「継続する意思」を持たなければなりません。「次回は何日に来てください」といった具体的な継続の枠組みがなければ、支援は断続的なものとなり、やがて、もっと事態の悪化が表面化してくるのです。祖母への対応が、「早期対応の失敗例」と言えるのです。
大切なことは、継続的な相談支援を可能とするような対人援助職の人材育成が急務と言えるのです。対人援助職の立場にある人が、簡単な助言指導や他機関をすぐに紹介するのではなく、まずは自ら継続的な伴走型支援を志向することが最も大切と言えるのです。